柿の木残影

昼下がり、湖岸沿いの集落の中の道を半時ほどぶらぶら歩く。空の高みで舞うトビを見かけただけで、不思議と鳥の姿を見かけずだった。ファインダーを覗いたのはジョウビタキを見た時だけだった。

f:id:gagambow23:20201129224655j:plain

分厚い雲間から太陽が時折顔を見せるというどんよりとした集落の道に人影は全く無く、重いヤツを持って歩く老爺には格好の散歩道だった。小さな角を曲がり横道に入った時キーッと一声発してヒヨドリが飛び出してきた。農家の庭先の柿の木から飛び立ったようだ。その木の梢には熟れた柿がいくつも残っていた。

f:id:gagambow23:20201129232810j:plain

その柿の実を見上げていてある光景を鮮やかに思い出していた。

晩秋の頃には紅葉の渓谷を撮りに奥永源寺へ毎年のように出掛けていた。そんな晩秋のある日、車を止めた場所へ帰ろう集落の中を歩いていた時、3-4歳くらいの女の子と媼が何かつぶやきながら柿の老木を棒で叩いているのを見つける。面白い光景、絶好の被写体だった。こんにちはと声を掛け写真を撮らせてほしとお願いした。小さな女の子は肯いてくれたが、媼は手を振って拒否の意を示した。小さな女の子は再び棒を持って柿の木を叩きながら木の周りを廻り始めた。「なるか、ならんか、ならんとぶっきるぞ」女の子が小声で呟いているのは「成木打ち」・「成る木責め」と呼ばれる歌(呪文)だった。私はあっと思った。撮りたいという思いが強くて立ち去り難く女の子の様子を暫く見ていた。帰り際、撮影を拒否したことを詫びるかのように媼は大きな柿を2個手渡してくれた。遠慮なく頂戴した。

永源寺にはいろんな思い出がある。