熟柿

終日、雨降り止まず。
「雨の日は雨を聴く」そんな心境で書斎に閉じ籠っていた。
山頭火の文言の一節、「山あれば山を観る、雨の日は雨を聴く」ここまでは思い出せるのだが、その後の言葉が思い出せないのだ。
Webで調べれば即座に続きの文言も判るだろうが自ずと思い出すことを待つことにする。

思い出すといえば、何の脈絡もなくムクドリが啄んでいた熟柿のことを思い出していた。
琵琶湖に注ぐ小さな川の河口近くにある民家の庭先に今もたわわに実を付けている柿の木がある。
この木に時にかなりの数のムクドリの集団が来ていることがあるのだ。
ムクドリの他ヒヨドリもやって来る。

先日の鳥撮りの折、この柿の木から一個頂いて味見をした。

ナイフで二つに切り、ドロッとした果肉を口にする、何とも言えぬ複雑な甘み、確かに柿の熟した甘みだが少し発酵(腐敗)が始まっている甘みだった。
昨年の暮れ頃に食っていればもっと美味い味だったと思われた。
熟柿を冷凍庫で凍らせシャーベット状にして喰ったら美味いかもしれない。
木の上の柿も吊るし柿のように水分が抜けていれば随分と美味いに違いない。
厚い皮が果肉を守っているから皮の中で実はドロドロに腐っていくのだ、この熟柿はいつ頃まで鳥たちの食卓を飾るのだろうか。
いろんなことを考えながら指先にドロリとした果汁がつくのも気にせず、熟柿を味見していた。

「雨の日は雨を聴く」の続きがどうしても思い出せない、Webで調べる。
「春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」だった。

調べていて、「手がとどくいちじくのうれざま」という句を見付ける。
ITOUさんの菜園のイチジクの木の枝先には、今も干からびたいちじくの実が付いている筈だ。
熟柿ならぬ干からびたイチジクの実はどんな味がするのだろうか、喰ってみたくなっている。