モンキチョウの求愛行動か

素晴らしい陽射しの田んぼ道を歩いていて、耕作放棄地の草むらに意外なほどたくさんのモンキチョウが飛び交っているのを見る。モンキチョウの他にキタキチョウもいた。道端には翅の破れたアカタテハ、初夏の頃のキアゲハに比べるとかなり小ぶりなキアゲハもいた。草むらの一角で求愛行動のような飛び方をしているモンキチョウを見つけ、コヤツを追いかけ草むらへ踏み込んだ。

よくよく見ているとメスの方はどうも尻尾を上げているように見える。これは交尾拒否行動だ。交尾拒否にもかかわらずオスの方は何度も何度もアタックをしていた。

秋日好天。爽やかな田んぼ道だった。松の木内湖近くの湿田へトンボ撮りに出かけたくなっている。

トビとチュウサギと

台風14号は九州などでは大きな被害をもたらせたようだが、琵琶湖西岸・比良連山山麓では幸いにも被害は全くと言っていい程無かった。台風が去った後のキジ撮りのフィールドへ出掛ける。台風でなぎ倒されることのなかった稲田の中に、アオサギチュウサギをぽつりぽつり見かけるだけで他に鳥の姿を見ることはなかった。はるか遠くの空の高みにトビが1羽待っているのを見つける。コヤツを呼び寄せることができるだろうかと思い、EOS7D+150-600mmを三脚に載せ、持参していたパン屑を在所に通じる道端に撒く。パン屑を撒き30mほど離れたカメラ設置場所に帰り振り向いてみると、既に3羽のトビが来ているではないか。よったりよったりした老爺の歩みとは言えカメラの所まで帰る時間はほんのごく僅かな時間だ。トビの飛来の素早さに驚く。何処で老爺の行動を見ていたのだろうか。

あっという間に7羽の飛来があった。

10日の日にブログを書いた後、台風が来るまでは残暑に手酷く痛めつけられていて、万事億劫とばかり呆け暮らしが続いていたから、パン屑撒きの鳥撮りは邪道だが、少しばかり気分転換になった。

帰り道、和邇川河口へ寄る。チュウサギ1羽を見ただけ。

本日まずは好日。

ルリタテハの幼虫

いつの頃からか階段の上り下り時には手摺を持つようになっている。2度ほど足を踏み外して転げ落ちそうになったことがあり、それ以来用心深くなっているのだ。上るときよりも下りのほうが怖い。今日も買い物に行こうと、手摺に手を添えゆっくりと階段を降りていて、階段の石垣の隙間から顔を出している一株のホトトギスの葉にルリタテハの幼虫がいるのを見つける。いつも持ち歩いているコンデジCASIO・X10を引っ張り出した。

ルリタテハの幼虫は2匹いた。

こやつらは食欲旺盛なのだ。終齢幼虫になり蛹化するまでに一株のホトトギスの葉は食い尽くされるに違いない。

ルリタテハの蛹化や羽化の過程の様子は既に撮っている。こんなシーンを持っていなければこやつらに書斎の飼育かごに来てもらうところだが、今回はこの場所で観察することにした。

ルリタテハは成虫で越冬する。この越冬したルリタテハを1度だけ見たことがある。もう20年近くも前だ。早春の雑木林に潜り込んでいた時、アベマキの幹にいるのを偶然見つけたのだ。(このことを思い出して外付けHDDを持ち出した)

越冬明けのルリタテハをもう一度見てみたい。そんなことを思ったりもするが、寒さのまだ残る雑木林へヤツを探しに行くことはもう出来そうにない。

いろんなことを思い出しながらこのブログを書いている。

本日好天。いい一日だった。

今夜は中秋の名月と言われるが雲が多くて、冴え冴えとした趣がない。 

沈船の上のヒドリガモとカメ

暑気はまだまだ強いが風が爽やかだったので稲刈りの様子を見に行く。途中、小さな漁港に立ち寄る。沈船の上にいたヒドリガモと甲羅干し(?)しているカメを見かけただけで、漁港はひっそりとしていた。

この漁港では早朝に来ると、稚鮎、モロコ、スジエビ、イサザなど季節の魚などを分けてもらえることもあるようだ。昨夜も午前3時過ぎ目覚めて寝室のカーテンを開けた時、眼下の沖合に浮かぶ漁火を見た。どんな獲物を狙っているのか判らないが、こんな漁火を見かけた時には一度訪ねてみたいものだ。

目的の稲刈りのシーンは駄目だった。見渡す限りの田んぼではコンバインの姿はなかった。稲の取り入れ作業が本格的になるのは一週間ほど先だろうか。早稲の田んぼでは収穫は終わっていたが、その他の田んぼでは未だ青い稲が多いのだ。

田んぼ道を歩いていて、イヌビエ、オオクサキビ、タガヤツリや名前を知らないの雑草が、稲よりも多いのでは、そんな田んぼが点在していることに気付く。

コンバインで刈り取れば籾とこれら雑草の種は分別されるから問題はないと言われるけれど、雑草の種は田んぼに落ちるだろうから来季もまた猛々しく成長してくるのだ。

私の子供の頃にはこんな雑草の多い田んぼは皆無だった。田んぼに雑草が生えるのは農家の恥だった。雑草を生やしてと嗤われたものだ。除草剤なんて無かった時代だったから、炎天下でも雑草を刈り取る専用の鎌(人差し指を曲げたほどの鎌刃に1m近い長い柄を付けたもの)を持って一茎一茎丹念に刈り取っていたものだ。(米の買い取り審査の折、米に雑草の種などが混入していると米の格付けが落ち、農家の収入に影響した)

コンバインは見かけなかったが、田の畦の草刈りをする人が一人いた。

日本の棚田百選に選ばれた畑(高島市)の棚田は今どんな様子だろうか。四季折々に訪ねていた畑の棚田も今では随分遠くなってしまった。

追伸

5年ほど前、トンボ撮りに行った時、稲田というよりも雑草の生い茂る中の稲、という風景を撮った事がある。

 

イチジクとオオスズメバチ

朝一番、涼しいうちに畑仕事を済ませての帰り道だろう、ITOUさんが採りたてのイチジクを届けてくれた。完熟のイチジク、なんとも美味そうだ。

ITOUさんの菜園の斜面にはイチジクの木が3本枝を伸ばしている。この木で採り忘れられた実が腐り始めたりすると、オオスズメバチアシナガバチ、カナブン、クロアリや小さなアリ、アカタテハヒカゲチョウツマグロヒョウモンなど、いろんな虫たちがやってくる。時にはこの虫たちを狙ってカマキリが来ていることもあるのだ。老爺には格好の虫撮り場所。ここ2年ほどはやって来ることが出来なかったが、随分前からここに来てはファインダーを覗いていたものだ。

*過去のファイルから幾つか引っ張り出したイチジクとオオスズメバチ

イチジクの実が大きく口を開ける頃を見計らって一度行ってみよう。EOS7D+180mmマクロや35-350mm、これにストロボなどを装着すると、老爺には手に余る重さになっているのだ。斜面での撮影では取り回しが窮屈だろうが一脚を用意しなくてはなるまい。

 

海が見たい

最近の読書時は相当に集中していないといつの間にか半睡している。今日も読書していた昼下がりうっらうっらしていた。こんな状態の時不意に「海が見たい」そんな思いが突き上げてきた。それも夕暮れ時の海や船溜まりの隅に繋がれている廃船を見たくなっているのだ。

これまでも時折海が見たいそんな思いに襲われることがあった。こんな思いが2・3日続いている時は決まってカミサンをぴっぱり出し、一泊旅行で越前海岸や志摩半島、淡路島等などへ行ったものだ。

「海が見たい」そんな思いが募って出掛けようとしても、これからはナビゲーターのいない一人旅。それに娘は、お爺さんのしかも遠方へのドライブはお止めになったら、と言い出す始末。

海が見たい、海が見たいそんな思いが募っている。

 

一昔前、海が見たいと単独行で小浜方面へ行った時の1ショット。

(フイルム時代の数年間、廃船や沈船をテーマに歩いたことがある。かなりのショット数がある。そのフイルムをスキャンしてデジタル化にかかっていたが、途中でほっぽり出したまま今日に至っているのだ。相当な量のポジフィルムをスキャンする気力は既にない。)

海が見たい

涼しくなったら敦賀方面へ行ってみるか。

赤いコンバインとチュウサギたち

草津市立図書館3Fギャラリーで開催されている二科会写真部滋賀支部展を見に行く。湖岸沿いの道を左折して間なし、赤いコンバインの稲刈りとそれに纏わり付くようにいるチュウサギたちを見つけ、路肩に余裕があることから車を停めた。

ファインダーを覗いていてよく思うことがある。被写体に対しての一瞬のチャンスとか巡り合わせということだ。この赤いコンバインとチュウサギたちのシーンも5分遅くだったら見ることは無かっただろう。あるいは30分早くだったら違ったシーンを幾つも切り撮ることが出来たかもしれない。「人と鳥と」というファイルを持っている。ワンチャンスだったがこのファイルに取り込めたことを幸いとしよう。

写真展

許可を貰って会場を1ショットする。

カミサンと写真展を見に来た時は、決まってお気に入りの作品5点を選び出していた。そしてもしお気に入りを1点差し上げますと言われたらどの作品を頂くかなど、そんな決め事をして鑑賞して廻っていた。今はお気に入りの5点の作品を見比べ合わす相手は横に居てくれないのだ。寂しい一人だけの会場廻りだった。

これまでだったらおおっ!と感心していた作品が幾つかあったが、今回はそれが全く無いのだ。老爺の感性は相当に劣化が進んでいるのだ。5感も感性も劣化するのは老いの習いだが寂しい限りだ。

今回の写真展は第17回という。第1回の写真展から見てきた私には、我も老い彼も老い、こんな感じがしていた。こんなことを言ったら出陳メンバーの方に怒鳴り込まれるかもしれない。

陽射しの強い湖岸沿いの田んぼ道を車が少ないのを幸いにゆっくり帰った。

本日好天。いい1日だった。