つくしの群落

夕方の散歩の折、住宅地にある空き地の一つでつくしの群落を見付けた。

空き地の斜面は見事なほどのつくし畑になっている。
そこは石の階段を上らなければならない場所、散歩の犬が入り込むことがまずない所だ。
採取すれば安心して食べられるのだ。
一週間早く見つけていれば、沢山のつくしが収穫できただろうに。

つくしの佃煮、春野菜やつくしをあしらったパスタ、定番の玉子とじ、喰いたい思いが募っている。
一週間早ければ良いつくしが採れただろうに、残念だ、呆け暮らしで散歩に出ない日が多かったのだ、ファインダーを覗き込みながら後悔していた。
先日の懐石の一品椀物にもつくしが添えられていた。かすかな苦味が美味かった。
つくしが喰いたい、しかし今年はもうつくしの仄かな苦味を楽しむことはできそうにない。

  むらさきに土筆煮上がる誰か来る    関根誠子 掲載誌・炎環
散歩の折などに撮った野草のファイルの中につくしを撮ったものが幾つもあり、その一つのメモ欄に上記の俳句がとり込まれている。
つくしのことを調べていた時この句を見つけメモしたのだろうが、詳しくは思い出せない。
この作者はどんな味付けをしていたのだろうか。
つくしが喰いたい。

今日で三月も終わり、眼の痒みは暫くは続くのだろうか、憂鬱極まりない。