我儘な味覚(5)

食べ物の味に関するる記憶はどんなふうに記憶されているのだろうか。
美味かったとか不味かったとかという記憶、ある料理に対する味そのもの(甘味、酸味、塩味、苦味、うま味)あるいは風味といった味覚の記憶、これらの記憶は不変のものではなく記憶域の中で変化しているのだろうか。
年々歳々料理に対して美味い不味いと我儘になっているが、これは味覚が劣化しているからかそれとも一層先鋭化している故だろうか。

味覚だけでなく、自分が選んで参加したセミナーや講座でも、何と薄味なとか、おっ!美味いなとかと美味い不味いに一段と敏感になっている。
不味いと思い始めると妙に腹立たしくなっているのも、歳がいった所為だろう。

今日の講座「法華経を読む」講師・那須良彦(龍谷仏教文化研究所客員研究員)は、経典の基本構造についてとその「序分」・「序品」の話だった。
とても面白かった。
それにお昼に立ち寄った讃岐うどんの店「古蝶庵」(大津市大将軍1)での地鶏の唐揚げうどんも美味かった。

講座などから帰ると決まって、今日のお話はどうでしたか とカミサンが話しかけてくる。
短い受け答えだが、講座や昼の食事が美味かったとか不味かったとか報告する。

今日はいずれも老兵の我儘な味覚を満足させてくれた。

書斎に上がってみると窓から夕日に輝く白銀の伊吹山が見えた。

本日は風がとても冷たかったが好日だったと言わねばなるまい。