小さな画廊にて

”平家都落の道”の第2回目の講座のある日、講座の前に露地を歩きたいと早めに家をでた。
あちこち歩いた最後の通りが綾小路通、目的の写真画廊へ行く道だ、かなり歩き疲れていた。
それに歩き出す前はそうでもなかった左腰が痛くなっていたから、一方通行の背後からやって来る車を気にしながらの歩きは相当に疲れた。
トボトボ歩いていて、「まぁるい心」展というポスターを見る、俳画展のようだなと思いながら通り過ぎたが、不意にある事を思い出し、講座の開始時間のことも気になっていたが急いで引き返した。

引き返してよかった。
画工 殿村栄一さんの、ほのぼのとしたお地蔵さんや子鬼などを描いた作品が並んでいた。
見ていると心の深みがゆっくりとゆっくりと暖かくなる、そんな感じだった。
それに絵に添えられた言葉がなんとも素晴らしい。


画廊の前を通り過ぎ次の辻を回ろうとしたして不意にある事を思い出し引き返したのは、Kさんのことを思い出したからだ。
Kさんもお地蔵さんの絵を描いていたのだ。
工業デザイナーだったKさんはある事情でその仕事を辞めると生まれ故郷の佐世保に帰り、間なしにお地蔵さんの絵を書き始め、酒と水墨画のお地蔵さんの日々のようだった。

Kさんを知ったのは上司の命令でKさんの自宅を尋ねた時、原子力空母エンタプライズの佐世保寄港反対で佐世保の街が喧騒に包まれていた直近の頃だった、そんな事から余計に鮮明に覚えている。

墨の濃淡で描き出したお地蔵さんの絵は画室にうず高く積み上げられていた。
習作の山だったのだ、中には一筆で描いた丸だけや何度も何度も上から描いたのだろう真っ黒な画仙紙も見て取れた。
まん丸いお顔のお地蔵さん、殿村さんの絵の中にKさんが描いていた墨絵の地蔵さんを見ていた。
あれから半世紀近くなる、佐世保港を見下ろす高台に建っていたKさんの画室、墨の匂いと和紙の山、遠くなってしまった。

Kさんは何故お地蔵さんの絵を描き続けていたのだろうか、今では問いかけることもできない。

帰宅してから殿村さんのことが気になりWebで検索してみた。
知る人ぞ知る画工だった、全国各地で個展を開催され画集も何冊も出版されておられる。