西本願寺唐門

龍谷大大宮キャンパスへ来るようになって10年以上になるが、直ぐ近くに在る西本願寺唐門は遠目に見るか、足早にその門の前を通り過ぎながら見るかで、何故かじっくり観たことがないのだ。
通りすがりに何ショットかカメラに収めてはいるが撮りましたという程度のものだ。
一日見ていても見飽きないと言われるほどの絢爛豪華な極彩色の門、国宝に指定されている唐門だとは承知していたが、足を止めていないのだ。

講座が終わった後、何かに突き動かされるように唐門が見たくなり見に行く。





今日の講義は「生者と死者とわたし」の第三講・「生命のつながり」と「つながりの中のいのち」ー縁起している「いのち」を考えるー。
核心の話は阿頼耶識についてだった。

始まりのない時から始まり、終わりのない時まで続く、阿頼耶識の非連続的でありかつ連続性。
「輪廻転生」
講座が相当に難しかったのだ。
必死で聴いていたがそれでも真っ暗な道を歩いているようだった。
暗い道から開放されたいそんな思いが極彩色の唐門へ向かわせたのでは、唐門を後にしながらそんな思いがしていた。

唐門は観れば観るほど圧倒される豪華さだ。確かに日暮門と呼ばれることも頷ける。
獅子、龍、麒麟、孔雀、竹、松、牡丹、菊、それに中国の故事に因んだ彫刻もあるという。
京の寒さに負けて早々に引き上げたが、次回は防寒対策もし、望遠や広角、ストロボ、一脚なども用意して来よう。