雑踏の中で

1ヶ月ぶりの京都、「大乗経典の不思議な世界」の第3回目の講座のある日だ。
地下鉄市役所前駅で降りて四条烏丸の教室までぶらぶら歩き始めたが間無し歩くのが嫌になる。
歩道いっぱいの人の列、息の詰まりそうな人混みだ、逃げ場もなく眩んでいた。
鄙の老爺が都の雑踏の中を漂っている、そんな感じが京都へ来る度少しづつ強くなっている。

ほっと一息つけるのは、ギャラリー古都などの写真ギャラリーに潜り込んだ時や四条通の人形屋さんのショーウインドーを覗き込んだ時、ジュンク堂などの本屋さんに入った時くらいだ。

今日も人形屋さんのショーウインドーを覗き込む、一息つくこととショーウインドーを覗き込む人やショーウインドー越しの風景を狙いたかったのだ。
暫くの間佇んでいたが思いのショットは撮れずだった。

講座は「般若経・2ーすべては空か有かー」、前2回と同様に難しい話だったが、居眠りせず必死で聞いていた。
唯識思想で主張されるアーラヤ識(阿頼耶識)をブッダは説いているか」説かれていない(原始仏教では説かれていない)場合は「経典の創作」をした、などという前半の話は面白かった。後半の大乗仏教の哲学(二つの学派)中観学派、唯識学派の話になるともうついてはいけない。
半ば居眠りだった。

帰りの地下鉄駅への地下通路の中で立ち止まった。
通路の壁にいるカミキリムシを見付けたのだ。
雑踏の中だったが構わずザックを下ろしコンデジを取り出す、虫撮り人の性だ。

クリサビカミキリのようだ。
京都のど真ん中のしかも地下の通路、どこからどうやってここに来たのだろうか。

老爺がコンデジを差し上げるようにして壁面に向かっているのだ、おかしな爺さんがいると思われたに違いない。
一日一虫 まずは本日好日だった。