捕らわれたシカ

明日から開かれる写真展のレイアウト等の準備の日だったが、深夜族の習慣を断ち切れないでいる老兵には苦しい一日だった。
午前中は眠くて仕方がなかったのだ。

いろんな作業の手伝いをしなければならないのだが、半ば放心したように呆けていた。
その原因の一つが昨日雑木林の中で見た檻に捕らわれていたシカのことだった。

雑木林の中を出てからも、檻に体当りして脱出しようと必死に藻掻いているその姿が脳裏から離れないでいるのだ、いろんな事を次から次へと考えていた。

もし、捕獲者の巡回が何日も遅れたら檻の中のシカは渇きと飢えに苛まれ、飢餓の苦しみを味わい続けねばならないだろう。
一発の銃弾に仕留められれば死の苦しみも瞬時だろうが、渇きと飢えの灼けつくような苦しみを何日も味わえば、その苦しみはいかばかりだろうか。
檻の中に倒れ死んだシカ、想像するだけで身震いするような悪寒と吐き気を感じていた。

実は2008年の11月の初めに秋景を撮りに処女湖(高島市)から石田川ダムへと山道を廻っていた時、石田川上流の路傍でシカの死を見たことがあるのだ。

シカの死の原因はよく分からないが、目の前の高い崖から何かの拍子に足を滑らせて落ちたような格好で道の一端を塞ぎ横たわっていた。
それに死ぬまでにかなりの時間を要したのだろう、シカの廻りはシカが路面を引っ掻き回した痕跡が残っていた。藻掻き苦しんだに違いなかった。

シカは遠くの何かを凝視するかのように眼を見開いたまま死んでいた。

この時はシカの死を見ても感じるものは左程なかったが、今回は檻の中に捕らわれているが故の、死に到る状況を想像して身震いしていた。

仲間たちとの写真展にシカの死のような作品を持ち込んだら余りにも場違いだろうし、顰蹙を買うに違いない。シカの死や先日撮ったイノシシの頭蓋骨とカタクリの花などの写真は自分のフォルダーの中に仕舞い込んでいるのが無難ですよ。自問自答していた。