雨の一日

終日 雨降り止まず。
料理当番の日の買い物に出掛けた以外は書斎に閉じこもっていた。
リタイアして以来「晴撮雨読」の生活パターンを心掛けていたが、昨秋頃から呆けている時間が多くなっていて、特に雨の日の読書の量は極端に少なくなっている。
「老来万事に物憂く」なのだ。

庭の雨に打たれているチューリップを眺めていて、10日ほど前マキノ(高島市)へカタクリの花を撮りに行った時見かけたイノシシの頭蓋骨のことを突然思い出していた。

頭蓋骨とカタクリの花を撮って以来何かの拍子にこのシーンを思い出すのだ。

白骨の側に咲いていたあのカタクリの花はもう枯れ落ちて姿を消しているだろう。
しかしあの白骨はもう喰らう獣もいないだろうから、同じ姿で雨に打たれていることだろう。
雨に打たれ陽に晒され白骨の上を風が通りすぎてゆく、そんな歳月がどれくらい経過すれば、あの頭蓋骨は土に還ってゆくのだろうか。
来年も又白骨の同じ場所にカタクリは芽吹き花を咲かせるのだろうか。

カタクリの花が姿を消した後には雑草が芽吹いてきて白骨を覆い隠すように伸びているのだろうか。

あの檻に捕らわれていたシカはどうなったのだろうか。
未だ閉じ込められているのだろうか。
この雨は閉じ込められているシカの渇きを少しでも和らげることができるのだろうか。

雨の日の日課だった読書もせず呆けていた。