方向感覚を失う

半月ぶりの京都だ、深草キャンパスでの講座(無量寿経・講読7)の後、京都造形芸術大学縄文時代の土器や土偶の展覧会があるのを思い出し出掛けてみた。
目的にしていた土偶の展示は少なかったが、縄文土器・深鉢や黒曜石製の鏃を見ていると縄文人の日常生活や獣を追いかけている時の息吹きが感じられるようで、暫くの間見入っていた。

帰り道は大学前のバス停からバスに乗り込んで間もなく睡魔に襲われ居眠りしたようだ。
市役所前というアナウンスで目覚め慌てて降りる。
バスから降り歩き始めて自分が何処を歩いているのか判らなくなっているのだ。
見慣れぬ風景が続いている。
バスの窓から進行方向の風景を眺めていればそれなりの位置情報を掴めていただろうに、眠ってしまった為方向感覚を失っているのだ。
地下鉄市役所前駅への入り口を探しあぐねていた。

方向感覚を失う、時々こんな状態になることがある。
それは決まって今回のように居眠りなどして意識の連続性が中断された後で、しかも自分が持っている風景と違うものを見た時に起こるようだ。
今回の場合は目の前のホテルが見慣れぬホテルに見えたのだ。
わたしのイメージの中には旧京都ホテルの外観が残っていたのだ。
日々変化し続ける風景について行けないでいる老兵は手探りするように歩いていた。