朝顔 季語

早朝の草叢にPUKUさんと一緒に入る。
昨夜半の雨に打たれた虫たちの姿を探すのが目的だ。
夏前に刈られた草も背が高くなっているから、草叢を歩きまわったお陰で膝から下は水に入ったようになっている。コーギーのPUKUさんなどは全身がびしょ濡れの状態だ。
こんな姿で帰ったならまたもカミサンに言われるに違いない。
「歳が行くと子供に還ると言うけれど、本当に子供ですね」前にも言われたことがある。
草叢を歩き廻ったが辛うじて見付けたのは小さな蛾の仲間一匹だけだった。

そんな草叢の一角で朝顔を見る。

朝顔を見ると決まって頭に浮かぶのは、加賀千代女のあの有名な句「朝顔に釣瓶とられてもらい水」だったり、旧い知人M(故人)が撮っていた入谷鬼子母神(東京都台東区)の朝顔市のことだ。
Mは朝顔市の早朝の準備段階から撮り始め、朝顔市がほぼ終わるまでいろんなシーンを切り撮っていた。それも二日わたってだ。
彼の作品「朝顔市」のポジをライトボックスにズラリと並べ、ルーペで覗きこんだことが昨日のように思い出される。
7月初旬の早朝の爽やかな空気感、ねじり鉢巻に法被姿の売り子、浴衣の客、色鮮やかで様々な斑入りの朝顔などがいろんな角度から切り撮られていた。

私は今日草叢から帰って朝顔の事を調べるまで、朝顔の季語は夏のものだと思っていた。
千代女の句も夏の初めの爽やかな早朝の情景が眼に浮かぶからだ。朝顔市も7月初旬だから。
それが夏ではなく秋だったとは思いもしなかった。

同じイメージの花、夕顔の季語は夏、昼顔も夏だ。
明治の初めに渡来して来たという夜顔の季語は秋。
これらはどんな感受性が夏と秋に分けるのだろうか。

夕顔に干瓢むいて遊びけり   芭蕉

干瓢の甘煮、椎茸と人参の甘煮 卵焼き、穴子、キュウリ等を入れた巻き寿司が喰いたくなっている、次のCooking当番の時作ってみよう。