一つの季節の終わり

春夏秋冬の季節のそれぞれにも初夏があり盛夏があり晩夏があるように、その中の一つの時季例えば盛夏にもそれぞれの小さな季節があることに気付かされることがあった。

この2・3日道端などあちこちでアブラゼミの死を見かけることが多くなっているのだ。
けたたましかった蝉の声も随分と小さくなっている。オニユリの花も姿を消してしまった。
コシアキトンボの仲間だろうかベランダでその死を見る。

この死は夏の一つの季節が終わったことを告げているそんなふうに思える。

そのトンボも午後2時過ぎに降った豪雨に洗い流されたのか、雨上がりの後で見た時にはベランダから消えていた。
土砂降りの雨はほんの僅かな時間だったがベランダを水浸しにする凄まじさだった。

一つの季節が終わり次の新しい一つの季節が始まる、季節の移り変わりに決して鈍感であった訳ではない、虫を追いかけている所為でむしろ季節の移り変わりには敏感だったと思う。
それでも今感じているような一つの小さな季節の終わりや移り変わりを意識したことは無かった。

与えられている時間の残りはどれ位なんだろうか。
こんな意識が時の移ろいに敏感に反応するのだろう。