空蝉

オニユリの花が終わって半月近くなり、やっと玄関先のタカサゴユリが花開き始めた。

オニユリにはキアゲハやナガサキアゲハなど蝶の仲間がやって来るが、このタカサゴユリに蝶たちが来ているのを今まで見たことがないのだ。
10数本のタカサゴユリはそれなりに玄関先を賑わせてくれるが、虫撮りの楽しみはない。
そんなタカサゴユリの一つに空蝉がしがみついているのを見付ける。
昨日は見掛けなかったから羽化のためにアブラゼミの幼虫が土中から出て来たのは昨夜だろう。

アブラゼミの羽化などは7月いっぱいで終わりと思っていたから、お盆のこの時季に羽化する蝉がいるとは今まで考えたこともなかった。


タカサゴユリにしがみついている蝉の抜け殻のことをカミサンに話していたら「残念でしたね」慰めの言葉が掛かる。
もう何年も蝉の羽化のシーンが撮れてないことをカミサンは承知しているのだ。


空蝉を詠んだ句で好きな一句がある。
 無為にしてひがな空蝉もてあそぶ     茅舎
 (川端茅舎 1941年、肺患の悪化のため43歳で没す)
木の枝先にしがみついていた空蝉を取りあげて掌の上で転がしているのだろうか。
句作する机上に置かれているのだろうか。
病と向き合っている日々はどんなふうに過ぎていくのだろうか。

タカサゴユリにしがみついている空蝉を眺めながらいろんなことを考えていた。