老いのかたち(5)

写真展が終わった後の疲れが出たみたいなボヤッとした寝起き、午前11時だ。
疲れが出るほど働いた訳でもないし写真展の間緊張が続いていた訳でもないのに、妙な疲れを覚えている。どろーんとした疲れだ。いつだったかトンボ撮りに夢中になっていて、湿田の泥の深みに入り込み、足を取られて抜け出すのに難儀したことがあるが、その時に感じた得体のしれないどろーんとした気持ち悪さに似ている。

これから月日が経過していくに従い、気持ちの悪いどろーんとした疲れをしばしば感じるようになるのだろうか。
それに最近は何事につけ、昔の出来事や光景を思い出すことが多くなっている。
ちょっとしたきっかけから遠い日の光景を思い出しているのだ。
これも老いてゆく一つのかたちだろうか。

過去も現在もぐしゃぐしゃに混じり合って今が認知できなくなる、そんな日が来るのかもしれない、そうした気味悪さを感じ始めているのだ。

今日もふとしたことから少年時代を過ごした田舎の麦畑のことを思い出していた。

思い出す麦畑は、山の斜面の麦畑、斜面に沿った石垣にはイチゴが植えられていたり、大きな枇杷の木があった。また麦畑の端っこには薄紫や白い矢車草が沢山生えていた。好く熟れたビワが美味かったこと、熟したイチゴには小さなアリが何匹も来ており、そいつを指先で跳ね飛ばしながら喰ったこと、等といろんな情景が次から次へと浮かんでくるのだ。
老いは過去を喰らうというがまさにそれだ。

ボケ防止にと料理当番の準備を早めに済まして、PUKUさんと虫撮りに出る。

柚子の木にナミアゲハの幼虫を見る。

このブログを書きながらも麦畑・麦秋のさまざまな光景を思い出している。
明日は麦秋を探しに行ってみよう。