思い出せないこと

昨日は旧友Kの絵の個展を見た後久しぶりに御堂筋をナンバからJR大阪駅まで歩いた。

今回のKの個展には昔大阪市立美術館での展覧会に出品していたような大作は展示されていなかったのが少し寂しかったが、画廊のスペースの関係から止むをなかったのだろう。
展示作品は小品だったが彼が40年近い時間を費やして造り上げた独特の絵画空間の素晴らしさに感心していた。

御堂筋を歩きながら見てきた作品の中の一つに妙な引っ掛かりを感じていた。
彼が描き出す構図とよく似た風景を作品に仕上げている写真家がいたように思ったからだ。

先々月だったか本屋さんで立ち読みした写真誌で見たのだ。
光を切り詰めて、荒涼とした漁村らしい風景を切り撮っており、ああ、こんな表現の仕方もあるのだと思いながら写真誌のその写真を見ていた。
それは結構有名な写真家の作品だったが、その写真家の名前が思い出せなかった。

今日もその思い出せない写真家の事が気になってWebで色々調べたが探しだせずにいる。
このWebサーフィンしている時、シュピーゲル写真家協会のホームページに行き当たった。
思い出せない写真家の写真の雰囲気とよく似た写真がここにも幾つかあった。
写真表現としてこんな表現方法もあるのかと思いながら見ている時、私の気分の一端をを書き表してくれたような一文を見つけた。

堀内初太郎さん(シュピーゲル写真家協会を立ち上げた時の創設メンバーの一人、この協会は1953年に創設され、現在も関西を中心に独自の写真映像の創作を目指し活動しているプロとアマチュアからなる老舗の写真集団)が「シュピーゲル写真集”SPIEGEL20"」に寄稿した一文だ。

「写真する、ということは、一人でやるべきものであると、近年、思うようになってきた。性分というものがあって、そばに人がいても気にならない、という人もあるが、僕は駄目である」
こんな書き出しで始まる堀内さんの「身辺雑記」には、仲間と一緒に行く撮影会などがあまり好きでないこと、撮影会はロケハンみたいでそこが気に入った場所であれば後日一人ででかけること等々が書かれており、似た気分に相槌を打っていた。

思い出せずにいる写真家の名前、いつかは思い出せるだろう。