見知らぬ街

旧い友人Kが絵の個展を大阪で開いている。これを観に大阪まで出かけた。

電車を降りプラットフォームに立った時に妙な不安感を一瞬感じた。
それから背中を押されるようにして改札口を抜け雑踏の中央コンコースに出た時も、見知らぬ街に降り立ったような得体のしれない戸惑いを感じていた。
リタイアして9年、たまにしか来阪していないので大阪駅の変わりように驚いている。地下鉄御堂筋線に乗りたいのだが方角が分からないのだ。
人混みに押し流されるように歩きながら御堂筋線の案内板を見た時はほっとした。
地下鉄なんば駅の地下通路でも少し迷い道をした。
まるで言葉も通じない字も読めない見知らぬ街を歩く異邦人のようだった。

友人Kと会うのは30数年ぶりだ、どんな様子だろうか、そんな思いで画廊に向かった。
何の挨拶もせずに通りすがりに立ち寄った見学者みたいに画廊に入って行ったら、Kは気付いてくれるだろうか,40年近い時間の経過は顔貌も変えてしまっているだろうから。

画廊にいたのは昔の面影を残している老人だ。
記憶にある30代前半の顔貌と今の70代半ばの顔を重ねあわせて見る、眼を合わせた瞬間お互いにそんなことをやっただろう。
顔貌は時間の経過を刻んでいたが、喋り方や仕草は記憶にある若い頃のKそのままだった。

暖かく見る者を包みこむような色調、幾通りにも想像の広がりを可能にする抽象的な風景、Kが長年かけて創り上げてきた独特の世界がそこにあった。
油絵と同時に幾つかの風景のスケッチが展示されていた。
見事な線描だ。対象物を無駄のない線で描き出している。
油絵の抽象的な風景の下にきちっとしたデッサンが描かれていることがうかがい知れた。


他に約束がなければKの絵をずっと見ていたかったが久しぶりの大阪、多用だ。
次の目的地まで御堂筋を歩くことにした。
イチョウ並木の道もやはり異邦の町のようだった。