時間の流れ

台風6号の影響で終日雨模様。
叩きつけるような横殴りの雨、しとしと雨、細雨、豪雨、今日はいろんな雨が降る。
雨に閉じこめられた一日も良いもんだと思いながら、調べ物や読書や捜し物をしている。

調べ物の一つは書斎の壁にピンナップされているサナギのこと。

このサナギを書斎に持ち込んだのはいつ頃だったか、はっきりした記憶はないが、3・4年も前だと思う。

羽化を期待して玄関先のアオキの葉っぱにしがみついていたのを、書斎に持ち込んだのだ。
しかしついにこのサナギは羽化しなかった。
そして今も書斎の壁にピンナップされたままになっている。

未だに名前が同定されていないのだ。
このサナギを最初はモンシロチョウのサナギだと思っていたが、アオキの葉っぱを齧っている。
モンシロチョウの幼虫がアオキの葉を齧るだろうかと思いはじめ、昆虫図鑑を調べるが、犀の角のような一本角を生やしたサナギの図像を見つけ出せずにいる。
何かの蛾のサナギだろうか。 
蛾の種類も相当な数だ、一つ一つ丹念に見ていたが途中で調べるのを休止した。
モニターの輝度はかなり落としているのだが、老眼は疲れやすくなっている。

この干からびたサナギにも、卵、幼虫、サナギの各段階での時間があり、上手く羽化していれば成虫の時間があった。
人にもそれぞれの段階での時間があり、そのそれぞれの時間の流れには遅速や濃淡があるだろう。
そしてこの遅速濃淡は人々それぞれによって異なっているに相違ない。
私の今この瞬間の時間はゆっくりと流れている、やりたいことがやれている濃密さも感じている。
しかし次の瞬間はどうだろうか、ピンナップされているあのサナギのように時間は止まってしまうかもしれない。
諸行無常だ。

午後からは昨夜遅くから始めている捜し物の続きだ。
探しているのは「極北の動物誌」(ウィリアム・ブルーイット、訳 岩本正恵)だ。
「蝶の不思議の国で」を途中まで読んで来て、その文体に胃もたれするような妙な感じを持ったのだ。
甘さとか生温かさとか、情緒的とかという類の感じだ。
これと全く対極にあるのが「極北の動物誌」の文体ではなかったかと思い始め、昨夜も書棚を調べた。
それほど大きくもない書棚だが整理が行き届いていないのと、一つの棚に二重に本を詰め込んでいるものだから大変だ。
ざくっと探したが見当たらないので夜遅いこともあり寝てしまった。
そして今日の午後からも一段づつ丁寧に探したが捜し物は見つからない。

極寒の大地アラスカの森やツンドラや草原に暮す動物たち(ハタネズミ、アカリス、ノウサギカリブー、狼等)が、詩情豊かに描かれていた。
手にしたのは十数年も前、東京出張の帰途、丸の内の丸善本店に立ち寄った際に見つけて購入し、京都に着くまで夢中で読んだことを思い出す。
出張の帰りの新幹線では決まって毛布を借りたりして寝てしまうのが常だったのに。

見つからないと余計に読みたくなり、見落としはなかろうかと二度も探した。
そして最後の手段、アマゾンで検索し申込む。本書は何年か前に絶版になっていて、中古市場での購入になる。
気に入っていた書籍を処分するということは絶対にないのに、何処に紛れ込んでいるのだろか。

それからもう一つの捜し物、愛用の万歩計だ。
こいつも未だ雲隠れしたまま、捜し物の多いのにカミサンが呆れている、探す本人も疲れ気味だ。