人形一体

昨日は写真展の受付当番。
午前一〇時から午後五時までの終日だった。
老体にはかなり厳しかった。
疲れていたのでPCを起ち上げることもなく早い就寝。
次回からは当番表作成のAさんに午前の部か午後の部かのいずれかにお願いしなければ。

午前の部はTさんと。
お天気の所為か、一二時過ぎまで来場者は僅かだったので、暇潰しにいろんな話をする。
マクロレンズでの撮影の話だったり、広角レンズをリバースしての超接写の話だったり、それに訊ねられるままに現役時代の昔話を幾つか話してしまった。

何かのきつかけで過去のことを思い出し一人感慨にふけることはあっても、昔話を他人に話すことはこれまではなかったのにと自分でも不思議に思っている。

午後からはKさんが相棒。
来場者はポツリポツリだ。
昨年は来場者は期間中延べ800人近い人数だったが、この調子だと今回はかなり低調な人数になりそうだ。
そんな暇潰しに持参の本を読むが集中出来ず、Tさんに話した昔話の続きを思い出していた。

もう随分遠い昔、昭和45年頃から50年代半ば頃迄のほぼ10年間、愛知県瀬戸・多治見地方の焼き物の窯元によく出掛けていたことがある。中でも瀬戸のSクラフトという工房が好きだった。(今は2代目で当時の営業部長のKさんが社長のようだ)
Sクラフトは外国向けの陶器人形等の輸出を専門にしていた。
鋳込み型で作る大量製品が主体だったが、デザイナーは大量型用のモデルを作る合間に手作りの一品を作っていた。
鋳込み型では絶対に創り得ない繊細な形状と手の温もりを感じさせる人形は、一体一体が個性を持ち、素晴らしい物だった。

ある日工房を訪ねた時、粘土で汚れた作業机の上に窯から取り出したばかりという感じで数点の人形が並べられていた。
その中の一体が今私の手許にある一体。

最初に見た時からその人形が欲しくてたまらなかった。
工房を訪ねる度に、棚に無造作に置かれているそれを眺めていた。
そんな様子から作者のエンデンさん(たしかこんな愛称で呼ばれていた女性)は、私がその人形に執着していることを見抜いていたようだった。そしてその年の終わり、エンデンさんの指定したケーキ屋のケーキ一箱でその陶器人形を手に入れた。
エンデンさんの作業棚の上で同じような人形をその後見ることは無かったから、世界で唯一の一体だ。

一体の人形だがこれを眺める時、膨大な空間と時間とそして人との関係ががそこに詰まっているのを感じる。
明日のことを考えるより昨日のこと、セピア色に変色しかかった昔を思い出すことが多いのは歳の所為。幾分悲しくなる。

明日は虫撮りに行こう。