居眠り

今日の講座は「ギリシャ文化と仏教」の第5回目「グノーシス如来蔵思想」
席についてレジュメに眼を通した時、前の方の席に着いたことを後悔した。
レジュメの内容が全く理解出来ないのだ。
これまでもレジュメの全体像が掴めなくても、断片が分かればそれらを繋ぎ合せることでそれなりのイメージを造り上げることをやってきたが、今回はそれらも全く出来ないのだ。
これではきっと居眠りするぞ、そんな予感がして、席順を後悔している。
案の定授業の半分は居眠りした。
「・・・そこにグノーシス思想を介してプラトン主義思想とのつながりをみることができる」
と言われても、グノーシス思想についてもプラトン主義思想についても分かっていないのだから、まるでチンプンカンプンの暗闇の世界、手探りしながら歩くにも歩けない難渋の道だ。

一年間掛けてもいい内容のものを僅か90分の講義で説明されても、理解出来ないのは俺の所為じゃない、居眠りするのも仕方ないじゃない、そんな開き直った思いで居眠っていた。
来週は講義の最終回、「マニ教のキリスト観と仏の三身説」後ろの方の席が良さそうだ。

深草キャンパス紫光館の玄関前のサツキが満開だった。

来週は汚れたサツキを見なければならないのだろうか。