朝食は昨日焼いたパン。
そのまま齧ってみる。焼き立ての香ばしさと口当たりは無くなっている。(当然だ)
味もかなり落ちてはいるが、これまでスーパーのベーカリーで買っていた物よりは美味い。
美味いけれどもやっぱり不味い。

不味いけれども美味かったというパンの話を思い出した。
7年ほど前、六回シリーズの「小麦の歴史」という講座に参加した事がある。
どんな内容だったかほとんど覚えていないが、印象に残った断片が幾つかある。

講師は老講師。定年退官して10年近く経つと仰っていた。
話し方も板書も上手ではなかつた。
あまり抑揚の無いボソボソとした話し方、板書は変形ゴシック体という感じ。
指導を受けた学生は大変だっろうなと想像したりした。
それでも六回きちっと受講したのは、「あっ、また横道にそれてしまった」と云いながら
話してくれた話がとても面白かった所為だったと思う。
講師がまだ若い頃、小麦の研究の為に野生の小麦を探しに、イラン、イラク、シリア、トルコ、
エジプト等各地を旅した時のエピソードを身ぶり手ぶり宜しく話してくれるのだ。

「先ほどまで羊の世話をしていたそのままの手で、その黒くて堅いパンをこうして手で千切って」と云いながらパンを差しだされて食べたトルコの山村での話。
「ぱさぱさのパンで口に入れた時は不味いと思ったが、しばらく噛んでいると結構いけるんだ。」
「パンで造ったビールも不味くて美味かったな。」
「次の村へ移動する時に乗せてもらった小型トラックの乗り心地もこんな具合だったよ。」
パンを食べる様子、ビールを飲む様子、特に凸凹の山道をトラックで行く時の様子などは真に迫っていて、演台の上での老講師のその姿に、聴講生のほとんどが必死で笑いを噛み殺していたの覚えている。

南京虫のいる宿舎の話、野生酵母の話、トイレの話、石臼を廻す話、農家で泊めてもらった時に見た星空の話。
本論の内容は覚えていないのにこれらの話は鮮明に記憶にある。
自分でパンを焼こうとしなかったら思い出す事もなかったろうに。

老講師は今もご健在だろうか。
講師のお名前も思い出せない。