ツクシのある記憶

鳥撮り用の重いヤツを持ち出す気にもなれなかったので、今日は100mmマクロと17-70mmズーム、それと70-300mmズームを用意した。虫探しが狙いだ。休憩時のためにポットに詰めたコーヒーも持って出掛ける。目的地は琵琶湖に注ぐ川の土手道。

土手道では、ベニシジミヤマトシジミ、モンシロチョウ、テングチョウらしきヤツ、などを見掛けたが、いずれも草むらに降りることもなく結構早いスピードで飛び廻るのだ。老爺はお手上げだった。

土手道斜面には胞子を放出して先端(頭)が開いてしまって、枯れかかったツクシが点々と残っていた。

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こうなってしまうと食用にはならない。1週間も早く見つけていれば夕飯の一品になっただろうに、そんな事を思いながらファインダーを覗いていて、10数年も前のある光景を思い出していた。

草津の琵琶湖湖岸で虫撮りをしていた時、ツクシ摘みをしていた親娘からサンドイッチをご馳走になったことがあるのだ。枯れ草の滑り落ちそうになる斜面で二人は一生懸命ツクシを採っていた。足を滑らせれば土手下に転げ落ちそうになる場所なので、収穫はそんなに多くはなさそうだった。私も虫撮りの合間に夕飯の一品にと思いツクシを摘んでいた。親(80歳くらい)娘(60代前半)の危うさが気になったこともあり「よろしければどうぞ」とツクシを手渡す。こんなことがきっかけでツクシのお礼にとサンドイッチを頂戴したのだ。手作りのサンドイッチはなんとも美味かった。このことを今でも鮮やかに思い出す。

親娘は実の親子だったようだ、横顔も笑い声もそっくりな感じだった。それに話好きなところもよく似ていた。問わず語りにいろんな事を話してくれたことを覚えている。料理好きなのかツクシを使ったパスタを今晩は作りたいと、そのレシピまで話してくれた。

ツクシに交わる記憶、遠い遠い時間の向こうの光景を鮮やかに思い出している。

 

今日の虫撮りの1ショット。

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