老いのかたち(29)

空き地の大きなトベラの木は花盛り、満開の花は甘い香りを放っている。
この時季このトベラの花にはアゲハの仲間やクマバチ、ミツバチなどがよく来ているのだが、タイミングが悪いのか、今年は何度も尋ねるが見かけないのだ。
今日も午後からEF35-350mmを装着したカメラを持って見に行くも出会えずだった。
トベラの近くでイチモンジセセリとホソヒラタアブを見ただけだ。

帰り道、自宅の階段を上がろうとして左手で手摺を掴んでいることを意識する。
おっ!と思った。
階段の上り降りの時にはこれまでも手摺を掴んでいただろうが、意識して手摺を持つということではなく、無意識のうちに掴んでいたのだ。
手摺を持つ、老いが安全確保のためにとった無意識の行動だったのだ。
この行動はいつ頃から始めていたのだろうか。

老いの無意識の行動でもう一つ思い出したものがある。
虫撮りに出掛ける時などには必ずペットボトル入りのお茶を持参する。
このお茶を飲むときには決まって最初の一口は口すすぎで吐き出すのが慣いになっている。
残り僅かなお茶でも口すすぎを優先しているようだ。
ドライマウス気味な老躯が無意識のうちにやり始めた行動だ。

自己防衛するための老躯の無意識な行動、他にどんなことをやっているのだろうか。
こんなことを考えていて、エーリッヒ・ノイマンの「意識の起源史」のことを思い出していた。
5年ほど前4条通りのジュンク堂書店で手にしたことがあるが、6000円を超える高価な本だったのでその時は手が出なかったのだ。
京都へ出掛けた折にはもう一度探してみよう。