落ち蝉

新聞を取りに出た折、階段に転がっている落ち蝉を見付ける、今年初めて見る落ち蝉だ。
落ち蝉を見ると決まって思い出す句がある、誰の句なのかは思い出せないが。
 落ち蝉のなきつくしたる軽さかな。

落ち蝉の写真をPCに落とし込んでいて、切り抜いておいた京都新聞のコラムのことを思い出し、スクラップなどを放り込んであるケースの中を探した。
孤独死は本当にいけないことか」という松山大耕さん(妙心寺退蔵院副住職)の含蓄に富む寄稿文だ。
8月17日の夕刊で眼を通して以来これまで何度か読み返した。
これから先も何かの切っ掛けからこのコラムのことを思い出しては読み直すに違いない。

このコラムの一節に以下のような文章がある、少し長くなるが引用する。
 ”先日、友人の医者が「この薬を飲まないと死にますよ」と言ってもなかなか飲んでくれないが、「この薬を飲まないとボケますよ」と言うと、だいたい皆さん飲むのだと言っていた。「死」よりも「老い」を苦しみと考える人が増えているのだろう。”
この文言は老躯の現在の心境そのものなのだ。

「老い」の怖さよりも「ボケる」ことが一途に怖いのだ。

玄関先のシロダモの木に数日前から一匹のアオバハゴロモがいる。
幹にいたり葉の上にいたり小枝にいたりと止っている場所は日によって異なるが、見た時は一匹だけなのだ。

このアオバハゴロモはいつまでいてくれるだろうか、そんな思いで眺めていた。