ユリカモメ

小さな漁港近くで沢山のカモメが舞っているのを遠目に見掛け車を急がせた。
漁港の空きスペースに車を頭から突込み急いでカメラを取り出すも、ほんの僅かな時間差、カモメたちの姿は沖合遠くになっていた。


もう5分も早く漁港に着いていたら、5・60羽もいたユリカモメの群舞が見られただろうに。
残っていたのは10羽ほどの小集団、防波堤から体を乗り出すようにして残りのカモメにレンズを向けた。
絡まり合うように飛び交ったり、波間に頭からダイビングするヤツもいた。
先ほどの60羽ほどの大集団だったら、乱暴なまでに飛び交ったり湖面に頭から突っ込む様子が面白かっただろうに。
思わぬシーンに巡り会えたかもしれない。


昨年の10月の初めに鳥撮りを始めた、鳥撮りがきっかけで虫撮りの時には思うこともなかった「偶然の出会い」とか「待つ」ということの意味合いをよく考えるようになっている。
虫撮りの時には「待つ」ということが殆ど無かった。
そんなこともあり鳥撮りで待つということが出来ないのだ。
習い性と成る、待てないのだ。


ブックマークしているブログの一つに「四季に遊ぶ 撮影日記」という鳥撮りのブログが有る。
山科川を中心にカワセミなどを撮っている人のブログだ、おおっ!と思わず唸る見事な写真が幾つも載せられている。
そんな中に「カワセミ 久しぶりに朝から4時まで粘る」というタイトルのページが有った。
待ち続け粘り続けることによって、大きな水生昆虫を咥えたカワセミが花の咲く木に止まるところなど、幾つものシーンをものにしているのだ。
撮影ポイントを熟知しているから、カワセミがやって来るのを長時間待つということも可能だろうが、それにしても寒空の下待ち続ける行為には頭が下がる。
素晴らしい物を狙うための「待つ」という努力、粘り甲斐があったと自分に言えるだけのシーンをものにする力、脱帽する。

偶然の出会いも家に閉じ籠っていたのではそのきっかけもない、歩き廻らなくてはチャンスはない。
待つことが苦手ならせめて歩くという努力を.....だ。