懐かしい方言

野洲川下流域左岸を走っていて、砂防堰堤の水落口で釣りをしている人を見付け車を停めた。
川原の中に3人、岸辺の柵から竿を出している人が5人、いずれの人も渓流竿に赤と黄色のツートンの丸いウキ、ハヤかウグイなどを狙っているようだった。

堰堤下の水落口にカワウが2羽、川中のブロックにはセグロセキレイもいる、他にも何かいるかもしれないと思い150−600mmを取り出して、土手の急階段を降りる。
階段の下で、手仕舞いをして帰っていく釣り人に「今日は如何でしたか、何が釣れましたか」と挨拶代わりの声をかけた。
「朝から来とるけどなんちゃ釣れん」
答えてくれた人は老年の釣り人、この一声を残して急ぎ足に急階段を上っていく。
おっ!という思いで急階段を軽々と上っていく釣り人の後ろ姿を見上げていた。
「なんちゃ釣れん」という言葉とその語感から旧い友人Sのことを思い出していたのだ。

ある大手印刷会社の営業マンだったS(香川県東讃地区出身)は、いつもは標準語でしゃべっていた。
しかし顧客によっては巧みに河内弁も和歌山弁も使いこなすというやり手。
親しい間柄になるといつの間にか讃岐弁丸出しになっていた。
「なんちゃ無いけどうちへ来いよ」と誘われたこともある。
街角で偶然に出会い「どこへいっきょンな」と声をかけられたこともあった。
釣り人の「なんちゃ釣れん」の声色はまさにSと同じ讃岐弁、讃岐弁に聞こえたのだ。
懐かしい方言だったのだ。
Sはもういない、いなくなって久しくなる。

様々なことを思い出しながら川原の枯れ草の上に座り込んで釣り人を眺めていた。

讃岐弁を聞くことももう無いかもしれない。