老いのかたち(21)

普段のリズムが狂うと疲れが酷くなる。
今日はほぼ終日、4月下旬に開く仲間たちとの写真展出品作の選び出しを行う日だ。
午前九時の集合だったから七時半起床(寝過ごして八時になったが)、それに午睡の時間も無しだったから、日頃勝手気儘に過ごしている老爺は相当に疲れていた。

思うに、老いの身はある種の拘束を伴う集団行動が苦手になっているのだ。
この苦手意識が昂じている所為で、写真仲間から誘われる泊りがけの撮影行にも同行できないのだ。
老いの我儘、年旧るとともに一層酷くなっていくに違いない。
我儘が醜悪な形を取らないように心掛けねばならない、そう思うものの出来そうにないのだ。

びわこ大津館の冬枯れのイングリッシュガーデンで、年配の人が春に備えて作業をしていた。

一人黙々と作業をしているその姿を眺めていると、一人であるが故の作業手順があるように見え、寒風の中の作業も楽しいだろうなと思えた。
かなり長い間眺め続けていた。
その姿を見ていて不意に「年末年始の休みを利用して念願の一人旅に出る」という書き出しで始まる旧い知人Sの紀行文「熊野三山」のことを思い出す。
Sは今どうしているのだろうか、音信不通になってからもう随分久しくなる、元気だろうか。