写真タイトル

深草キャンパスでのRECの講座「シルクロードの文化と仏教・華厳経とその背景」の終講の日だ。
講義の内容が相当に難しかった所為で出席するのが億劫になり、その都度GO!GO!と叱咤しなければならない状態だったが今日はその億劫さもなく家を出た。
それというのも写真仲間の一人がギャラリー古都での写真展に出品されていることを聞いており、その作品を拝見するのが楽しみだったからだ。

「ギャラリー古都自由作品展」ということで36人の人達がこれまでの成果を持ち寄ったようだ。
それぞれがそれぞれの思いを込めて出品したのだろう、おっ!と思わされるものが何点もある。

写真展を見て歩く時は、構図や色調、撮影テクニック、被写体の面白さ等々の絵作り、それに最近とみに多くなったデジタルでの画像処理やプリントの仕方などに注目し、同時にタイトルに関心を寄せている。

「淡い恋」と名付けられた作品があった。

これを撮った人はどんな狙いでこの風景を切り撮り、それにどんな思いを託して「淡い恋」というタイトルを付けたのだろうか。
「淡い恋」というタイトルが写真とうまくマッチして何とも言えぬ情感を醸し出しているのだ。
しばらく見ていた。

絵画でも写真でも小説でもその作品の著作権は作者のものだが。その作品から何を感じ取るか、どんな思いをその作品に投影するかは見る人のものであり、その一点においてその作品は見る人のものだと思う。私の作品なのだ。
それ故に、見る人の心象風景をより大きく助ける、写真家が伝えようとするメッセージをきちっと読み取る、これらのためにもタイトルは極めて重要だと思う。
あるいは逆に「無題」だとか「作品・A」というふうに意味を持たないタイトル付けにするかだ。

写真集として出版するときの写真家あるいは出版社のマーケッターなら、売るためにどんなタイトルを考えるのだろうか。

いろんな事を考えながら写真展会場を見て廻っていた。