居眠り

今日は「仏教伝来・第三の道」の四回目の講座、”葬送に関わらなかった初期仏教”だった。
「アーナンダよ、汝らは如来の舎利供養にかかわるな。...........」とパーリ語大般涅槃経」経典に記されているように釈迦は葬送に関わるべきでないと説かれたという。
こうした話から始まって、舎利供養のこと、舎利塔建立、仏舎利分配に関する部族同士の争い(舎利八分)、土俗信仰との習合から葬送儀礼が行われるようになったこと等々が話されたが、不覚にも途中から居眠りをしてしまった。

山田明爾先生の講座に出席し始めてから一〇年になるが、居眠りは初めての経験だった。
舎利塔や舎利容器、舎利塔が建立されているインド南西部、アフガニスタンなどの遺跡の地図など、豊富な写真をスライドを使っての説明だった為教室が暗くなっていたのだ。
この暗さがいつもの午睡の習慣を引っ張りだしてしまったのだ、必死で睡魔と戦っていたがうつらうつらしてしまった。

楽しみにしている講座の半分を聞き逃していることで帰りの足が重かった。

瀬田キャンパスの周囲は里山が取り巻いている。構内にも雑木林が残されている。
そんな関係からだろうか、柴栗のあの独特なニオイが風に運ばれてくる。
柴栗が満開の花を付けていた。

その花の近くでヤマアリが蛾の羽を運んでいるのを見つけた。

暫くの間この様子を見ていると居眠りした嫌悪感も薄れていく、現金なものだ。

家に帰った時は玄関先でモンシロドクガを見つける。

毒毛針をもつコイツにやられると物凄い痒みと蕁麻疹みたいな皮膚炎に罹る。
こんな事を思いながら居眠りした嫌悪感を捨て去っていた。
虫撮りバンザイ!