写真展(2) 写真の修正

第50回記念滋賀県写真展覧会出陳目録を見ていて、審査評総評の文面に気になる箇所を見つけた。
「カメラのデジタル化や高性能化に伴って、表現の領域が広がった反面、過度に調整しすぎな作品も目立つようになってきた。自分自身の感覚と技術の調和を図りながら作品作りをしてほしい」という一文だ。

この「過度に調整しすぎ」がどの程度の修正(または加工)を「過度」と言われているのか分からないが、写真作品として完成度が高ければ、それはそれでいいのではないかと思う。

報道写真とか記録写真は真実ありのままが大原則だが、展覧会用の風景写真にこの原則を強いる必要はないと思うが如何だろうか。
写真の修正加工が過度か僅少か或は無修正かなどと問う必要があるのだろうか。
要は修正加工の有無或は大小ではなく、写真作品の完成度の高さが全てだと思う。

小説や詩や俳句には「推敲」という手順があり、絵画にも修正の筆が加えられることがある。
これはより良く作品を完成させるための欠かせない作業だ。
写真に当てはめれば修正加工だと思う。
もし過度に調整しすぎて作品としての質が劣化しているのであれば、文学で云う推敲に失敗していることで、入選出来ないだけのことであろう。
ただそれだけだと思う。
学術論文ならいざ知らず文学でも絵画でも写真でも、第一印象での好きか嫌いかが全てで、作品の巧拙を云々するのはこの情感の後の作業だと思う。

審査員が「過度に調整しすぎな作品」と指摘している写真を一度見てみたいものだ。