雨奇晴好と金木犀

昨夜遅く気にかかっていた四条通にある仲源寺の門に掲げられている扁額の文字「雨奇晴好」の出典を調べていて、志賀直哉の「暗夜行路」に「四条の額じゃないが、雨奇晴好ぐらいの気持ちかな」という用例のあることを知る。
「暗夜行路」のあらすじだけは承知しているが、読んだことが無い。
この言葉がどんな場面で使われたのか想像の余地もないが、幾分湿った気分のように思える。
出典は中国北宋の詩人 蘇軾(蘇東坡)の「飲湖上初晴後雨」

この扁額が観音霊場の門に掲げられている意味合いは、これを眼にする人それぞれに違うだろう。この門をくぐる人の内果たして何人の人が見上げていることだろうか。

何時誰によって掲げられたのか、その故事来歴が知りたいものだ。
雨も奇なりだが虫撮り人にはやはり晴好の方がいい。

好日秋天だ。庭の金木犀は散り始めている。

金木犀が散りゆくのを見ると決まって思い出す光景がある。
昭和40年代初め頃の光景なのだ。

南海高野線九度山駅に降りたことがある。
紀の川の支流丹生川の土手に見事としか言いようのないほどのコスモスが咲き誇っているのを見つけ、思わず途中下車をしてしまったのだ。
現在では休耕田などを利用したコスモス畑をあちこちで見かけ、コスモスの群落などそんなに珍しくもないが、40年代初頭の頃は河原の空き地や土手などはサツマイモや大根作りの畑だったから、コスモスの群落を見て驚いたのだ。

帰りの電車の時刻を確認して駅舎を出て民家の角を回った時、再び驚きで立ち止まった。
道を覆うように枝を伸ばした金木犀の大木を目にしたのだ。
昼下がりの陽光を受けて金色に輝いて見える樹の何と見事なことか。
驚きはそれだけではなかった。
金木犀の樹の下の陽当りの場所にわら筵がひかれており、一人の老婆が居眠りをしていた。
手には白い毛糸と編み針を持っている。
編み物をしながら小春日和の陽気に寝入ったのだろう。

私が驚いたのは、背を丸めてこっくりこっくりしている小柄な老婆の頭にも肩にも膝の上にも
沢山の金色の花びらが落ちている光景やわら筵全体が黄色くなっているその様子にだ。
それ以来金木犀が咲き十文字形の小さな花びらが落ちる時期が来ると、決まってこの光景を思い出す。
農家の庭先のこんな素晴らしい光景をその後も見たことはない。
あの時カメラを待っていたらどんな角度で撮っただろうかと想像して楽しんでいる。