思い出せぬことの多かりし

早朝に訪ねた鳥撮りのフィールドは、オオヨシキリの啼声もケリの声もなく、薄気味悪いほど静かだった。遠くの田んぼにいるチュウサギを見掛けただけで、全く鳥の姿はなかった。耕作放棄地のヨシも随分と背が高くなっているから見通しも悪くなり、目的のキジの姿を見つけ出すのは容易ではない。フィールドをゆっくりと一周したがついぞ見かけることはなかった。キジ撮りももう終わりにする頃合いになったのだ。

鳥撮りの代わりに白い花の上に来ていたモンシロチョウに重いヤツを向けた。陽射しの強い中を小半時ほど歩いた成果が必要だったのだ。

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耕作放棄地のヨシの茂みの中にポッンと開けた場所があり、白い小さな花びらを付けた群落が広がっている。ここにモンシロチョウが吸蜜に来ているのだ。

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チョウにレンズを向けながらこの白い花の名前を思い出そうとするのだが、思い出せないのだ。帰りの車の中で何だったかな何だったかなと考え続けていた。PCを立ち上げている今も記憶の深みを覗き込むようにしているが名前が出てこないのだ。山溪フィールドブックの「夏の野草」などを書棚から引っ張り出せば簡単に片がつくのだが、何かのきっかけで思い出すこともあるだろうと、野草図鑑を取り出すことを止めている。

いつの頃からか、思い出せぬことが多くなっている。以前にも撮ったクモの名前が思い出せず、思い出せないことをカミサンにぼやいていた時、カミサンに言われたことがある。正確には思い出せないが「生まれて以来色んなものを神様から頂き身に付けてきたが、もうそろそろそれらをお返しする頃なんですよ。物忘れは至極当然の成り行きですよ」「全てがなくなってしまってもいいじゃないですか」、こんな意味合いだった。

名前が思い出せない、これからそんな状態がますます募っていくのだろう。

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炎天下、田んぼの見廻りに来ている人を撮る。

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この光景の手前にある白い花も耕作放棄地の中の白い花の群落と同じだと思う。いつになったらその名前を思い出せるのだろうか。