時の移ろい

エアコンを点けない昼間の二階の書斎は、今日も真夏並みの温度(35度)だが、階下の風が吹き抜ける廊下ではどことなく夏の終わりを感じる。
朝夕のヒグラシやアブラゼミの鳴き声も小さく弱々しくなっている。
PUKUさんとの散歩の折小さな公園でアブラゼミの死を見た。

「時の移ろい」が肌を刺す、そんなふうに感じ始めている。

セミにはセミの時間があり時の流れがある。
私には私の時間があり時の流れがある。
人も与えられた生涯という時間があるが、その流れ方はそれぞれに違うはずだ。
私の時間はどんなふうに流れているのだろうか、浪費だけはしたくないものだ。

アブラゼミの死の写真を見ている時に、昔読んだある本のことを思い出し書棚を探した。
「ゾウの時間ネズミの時間」(本川達雄 中公新書)だ。
この本にも栞がわりに名刺が挟んであった。
名刺の裏に、簡単なメモと93.6.29の日付が書きこまれている。

このメモの内容とメモを読んでいる今の自分との間に、やはり「時の移ろい」を感じる。
有為転変。