虫撮りと読書(7)

今朝も玄関先の白百合に昨日のカマキリがまだいたが、正午過ぎ買い物から帰って見た時には見当たらなかった。
正午頃のほんの僅かな時間だったが篠突く雨が降ったから、カマキリも雨を避けて何処かに逃げ出したんだろう。
叩きつけるような雨粒から逃げ出したとしたら、その時のカマキリの様子はどんなふうだったんだろうか等といろいろ想像している。

この篠突くような夕立のことを、長崎県のある地方では「婆威し」(ばばおどし)と云うらしい。
一人留守番をしている時突如降りだした雨にあわてふためいて、庭先に干してある小豆や胡麻を取り入れる老婆、そんな様子から「婆威し」と呼ばれるようになったのだろう。
遠い昔の農村の光景が目に浮かぶ。

午後7時頃夕刊を取りに出た時、風でゆっくり揺れる白百合の上にカマキリがいるのを見る。

夜の虫撮りの練習とばかりに、いろいろとテストをしてみた。
ストロボを焚く、感度を上げる、LEDライトを当てる。
こんな時助手がいてくれると助かるのになと思いながらも、カミサンに声をかけるのを躊躇っている。

「戦史」を読む。
二千数百年ほど前の古代ギリシャ世界の戦いだが、その外交戦、情報戦は現代のものと全く同じではないのかと思わせる。
人間の欲望、国家(ポリス)の欲望、同盟と離反、一般市民には見えない所で行われる壮絶な駆け引き、人間の或は集団の「業」は古代も現在も変わりはしないのだ。