スズガモと無愛想なキジ

GSで洗車を頼んだ後、かなり遠いが日頃の運動不足解消にと和邇川河口まで歩く。150-600mm+三脚を持っての歩きだ。老躯には結構厳しい道程だった。

この時期には和邇川河口ではそれなりのカモたちの群れがいるのだが、見かけたのは、スズガモやヒドリガモそれとオオバンが僅かにいただけだった。

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北からやって来たカモたちで湖面が賑わうのはこれからだろうか。冬鳥を撮るには湖北へ出掛けねばならないようだが、老爺にははるか遠くになってしまっているのだ。

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帰り道は田んぼ道をのったりのったりだ。往きはよいよい帰りは怖いの道行きだったが、耕作放棄地のヨシ原から姿を見せたキジを見たことで老爺は一息ついた。

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それにしても無愛想なヤツだった。こちらの姿を見るなりそそくさとヨシ原の中に姿を隠してしまったのだ。

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本日まずはの1日だった。

メジロが来る

小雪が舞い、肌を刺すような寒風が時折荒れ狂う寒い一日だった。

3時のおやつの時はカミさんと暖房をきかせた窓際に並んで、小雪の舞うのを見ながら、紅茶とサーターアンダギーでの一刻だった。小雪がやんで一瞬明るくなった時、ヤツデの葉の下にメジロが来ているのを見つける。時々やって来るのだ。時には2羽のときもある。ガラス戸越しだったからフラッシュを焚くこともならず逆光のまま1ショットだ。(ピンぼけだ)

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メジロ撮りにはいろんな思い出がある。フイルム時代のものも含めて一度整理しなくてはなるまい。

メジロなどが撮れる梅の春が待ち遠しいものだ。

(昨年の梅の頃撮った1枚)

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昨日のような呆け暮らしを回避するためにと、「スタジオジブリの想像力」を読んでいた折、記事中で見つけ、面白いのではと思いamazonから取り寄せておいた、スティーヴン・ジェィ・グールドの「ワンダフル・ライフ----バージェス頁岩と生物進化の物語」を引っ張り出した。

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コヤツは600頁ほどのボリュームだ。現役時代のような読書スピードはとっくの昔になくしている。読み終えるのにどれくらいの時間がかかるやら。途中で本を伏せてしまわなければいいのだが。

昨年12月初旬に手に入れていた「スタジオジブリの想像力」三浦雅士著・講談社を読み終えたが、四苦八苦しながらの読書だった。老爺にはとても難解な文脈、途中で放り出さずなんとか最後まで読んだが、これほど難渋した本にぶつかったのは、この10年ほどの間では記憶にない。こんなことをカミサンにぼやいていたらカミサン曰く「もう年なんですから難しい本はおやめになったら」

メジロが来た日、望春の一日だった。

万事億劫な一日

昨日の素晴らしい陽射しは身も心も軽やかにしてくれたが、今日の冷たい雨が時折降る陽射しのない薄暗い日は、何とも気分が滅入ってしまう。万事これ億劫と終日呆けていた。八十路も半ばに近づいているから、億劫という状況に陥ってしまうとそこから抜け出すのが容易ではない。気分転換にと、昨日かなりの枚数を撮っていたのでその整理を老爺にけしかけた。

荒起しが始まっている田んぼにツグミが10数羽、散らばって餌探しをしていた。随分長い間ツグミの集団を見かけることが無かったので、しばらく眺めていた。ツグミの飛翔が狙いだったのだ。飛び立ったり着地するところを数撃ちゃ当たる式にシャッターを切る。フイルム時代だったらとても考えられない撮影だ。僅かに幾つか拾いものがあった。

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田んぼ道を一周りした後は和邇川河口へ行く。和邇川河口を塞ぐように出来た砂州が湾処を作っている。そこにカモたちやサギの仲間が餌取りに来ているかもしれないと思い寄り道してみたが、鳥たちの姿は全く無かった。砂州には5人ほどのアングラーがいた所為だろう。バスボートも近くに居たのだ。

雪を冠った伊吹山を遠望する。

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初撮りはキジとイタチと

風もなく燦々と降りそそぐ素晴らしい陽射しの昼下がり、キジのフィールドへ行く。出掛けて来てよかった。今年の初撮りに目的のキジが居てくれたのだ。二区画ほど向こうの田んぼの中、600mmでは小さな姿だ。重いヤツを抱えて冬枯れの畦道を急いだ。何とも幸先の良い出だしだった。

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キジ撮りの後、人っ子ひとり居ない田んぼ道を歩いていて、耕作放棄地のヨシ原の中からひょっこりイタチが顔を見せてくれた。

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立ち上がってポーズしてくれたが1ショットだけだった。再び現れてくれることを期待してしばらくの間待っていたが、姿を見せることはなかった。

今年の初撮り、キジとイタチ、良い1年であれば幸いなんだが。

ふと思い出して

昨日たくさん収穫した柚子を持て余して今夜も柚子風呂にした。少し熱めにした湯に浸かっていて、これまでにブログに書き入れていた俳句(?)は幾つくらいあるだろうかとふと思い、書き出してみることにした。

なにかの拍子に頭を過ぎって行ったものを書き留めていたのだ。一番最初に書き留めていたものが「みのむしのいる陽だまりで本を読む」2011-11-08。順次書き出してみる。

 鬼の子の箕も借りたし夜寒道

 秋深く雨降り止まず呆けおり

 老兵も銃置き去る日冬近し

 木守りの落つ道ゆくひとり影

 残り月虫撮りの日々如何ばかり

 歳旦に残りの日々を数えおり

 ともがらの訃報聞きおり月しぐれ

 山茶花より藪椿のほうがいい

 思いだけ飛び立っていく雪の朝

 老いてなお虫撮りしおり麦の秋

 虫撮りの老爺に来るか次の春

 わらび干す筵の上の母の影

 弱法師歩みのはての彼岸花

 鳥撮りの望遠重し寒雀

 老躯には重きレンズや寒雀

 痒い眼で眺めておりぬ春耕の田にムクドリの群れ二つ三つ(推敲しないままに)

 迷い来て路地裏道にネギ坊主

 吾に問うほろ酔いですかと酔芙蓉

 ファインダーに捉えきれずや落雲雀

 虫撮りに行く日待ち侘ぶ寒椿

 逝く友を送る道に柿すだれ

 彼も老い吾も老いたり山は雪

 病む妻の足の爪着る八十の春

 病む妻の爪を切りおり梅の春

 妻が病み庭の夏草猛々し

 落ち蝉を拾い上げおりガンを病む妻

 病む妻の寝顔の向こうに昼の月

 栗一つ手遊びしておりガンを病む妻

 眼デジの重さ堪らえてトンボ撮る八十路の秋は日毎深まる

 病む妻の視線の先の残り菊

 残菊に鋏いれおりガンを病む妻

 ぽとり落つ吽(うん)の足元藪椿

 モズの高鳴き未だ聞かずや老いの秋

 病む妻の手に花鋏や寒椿

 桜までと言われし命永らえて節分の豆妻が撒きおり

 冬去れば八十も半ばか風を聴く

 陽だまりに蜂の死を見たと残日録

 夕さりて寒風聴きおり残日録

 ひ孫抱く癌病む妻の頬紅く

 妻が病み夕餉はひとり外は雪

 病む妻に粥つくる朝しぐれ虹

 キジ撮りを待ち侘ぶ老爺に凍夜の月

キジのバトルのシーンは幾つか持っているが、来季には会心の一枚を撮りたいものだ。

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柚子と野猿と

今日は冬至の日だ。いつものように冬至の柚子風呂にと思い、庭の柚子の収穫をする。

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青い小さな実の頃にかなりの落果があったから、今年は収量も少ないだろうと思っていたが思いの外の数がある。

脚立に登って実を収穫していた時、Mさん宅のブロック塀の上を足早に渡っていく5匹ほどの野猿の小集団を見つける。先日も、カミさんが我が家のフエンスの上を移動していく猿を見たという。食べ物が少なくなった冬場だ、山から降りてきたのだろう。

今年2月14日のブログに、庭の柚子の実を野猿が食ったのではと思える、柚子の皮の散乱した画像をアップしている。全く食べ物が見つからなくなると酸っぱい柚子をも齧るようだ。

とりあえずポリバケツ2杯を取り入れた。季節折々に収穫した野菜をよく届けてくれるIさんと孫娘のところへおすそ分けだ。まだバケツ4~5杯分は収穫できそうだ。木の上で萎びてしまわないようにできるだけ早めに取り入れねばなるまい。

飢えた野猿のために幾つかは残しておいてやらねば。猿が取り易いできるだけ棘の少ない枝を選んで残しておいてやろう。

野猿のショットは幾つも持っている。鳥撮りの折に出くわして撮ったヤツだ。

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しかし残念ながら何かを喰っているというシーンはないのだ。老いが深まって遠出が出来づらくなっている現在、庭先で野猿が柚子を食うシーンが見られれば幸せだろうに。

 

 飢えたるか 柚子喰う野猿や 冬の庭      風来坊

 ひもじいか 酸っぱき柚子喰う 猿がいる    風来坊

 

ヤツデの花にいたハナバエの仲間と師走のジョロウグモ

今朝、カミさんと並んで朝食を摂っていて、庭先のヤツデの花にメジロが来ているのをカミさんが見つける。急いでカメラを持ち出すも1ショットも出来ず飛び去られる。ヤツデの花にハナバエの仲間が吸蜜に来ているところから見るに、小さな小さな花にも蜜があるのだろう。蜜源の殆どないこの時季だ、メジロはこれを目当てに来ていたのだろうか。

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ベランダの庇の近くに巣網を張っていたジョロウグモ、昼前に見た時は風に揺られていたが夕刻見た時には姿を消していた。何処かに移動しているのではと思い、巣の糸がのびている庇裏などを丹念に探したが姿はなかった。ジョロウグモは成虫では越冬できないのだ。小さな命を終えたようだ。命を終えた姿も見当たらずだった。巣網にはここでヤツが暮らしていたという紛れもない痕跡だけが見て取れる。

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次の世代に命を繋ぐための卵は何処に産み付けられているのだろうか。

 

 桜までと言われし妻に2度目の冬至近し     風来坊

 ひ孫抱く癌病む妻の頬紅く           風来坊