カエルの記憶

「雨の一日」のブログにmomijiteruyamaさんからコメントが寄せられ、teruyamaさんがカエルの時季を待っていることが書かれていた。カエルをどんな対象物として関心を持たれているのだろうか。私にはカエルにちょっとした笑えぬ記憶がある。

4年ほど前、比良連山・堂満岳の山麓の段々畑へ行った時、山際に設えられたタタミ4畳ほどの農業用水槽にスイレンが咲き、イトトンボがいるのを偶然見つけたのだ。産卵行動をしていた。

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用水槽にはその縁にも水槽の中にもカエルがいた。

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カエルには格別な関心もなかったからイトトンボのおまけとして撮っていたが、産卵行動をしているイトトンボスイレンの縁にトノサマガエルがひょこっと顔を水中から出した時は、おまけではなく完全な主役になった。イトトンボとトノサマガエルの組み合わせが構図もよく素晴らしい絵になっているのだ。急いでファインダーを覗き込んだが100mmマクロでは遠いのだ。少しでもアップにしようと用水槽の前に膝をつき、より掛かるようにして身をのり出す。老いの悲しさだ、体が固くなっていてバランスをくずし、カメラを持ったまま頭から水槽の中に落ちそうになる。ダイビングは免れたもののその後しばらく息が詰まっていた。両肘のあたりに僅かだが擦り傷も負っていた。

落ち着いた後覗き込んだが、撮りたいシーンのイトトンボもトノサマガエルももうそこにはいなかった。

カエルの笑えぬ記憶も今思い出せば老体の無様な姿が可笑しくなる。teruyamaさんのコメントが無ければこんな光景も記憶の深みに眠ったままだっただろう。さまざまなことを思い出している。