水落にいたチュウサギ

JR湖西線和邇駅で下車して線路沿いの道を北に向かって10分ほど歩くと、喜撰川という小さな川に出会う。この川の左岸の土手道では3・4年ほど前まで、コスモスがトンネルが出来るほどの状態で見事に咲き誇っていた。そんなこともあって虫撮りの絶好の場所だった。それが今ではコスモスの一茎も見当たらないのだ。コスモスの世話をしていたのはご近所の人のようだったがどうされたのだろうか。道は雑草の茂る野道になってしまっている。

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コスモスの無い道は寂しい限りだったが運動不足の解消にと河口まで歩くことにした。

河口にも湖面にも鳥の姿はなかった。鳥撮りは不発だったかと思いながら右岸の道を引き返す。途中、草刈りの老爺と水落にいるチュウサギを見つけ妙にほっとした。

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補聴器をつけておれば草刈りの老爺が手を休めた折声を掛け、コスモスの無くなった事情などを聞きたいのだが、補聴器なしでは頓珍漢なやり取りになるだろうと声を掛けるのを諦めた。

五感劣化、中でも聴力が最も酷く劣化しているのだ。寂しさが募る。