花桃

定期検診に行った病院の駐車場の片隅で花桃が咲いているのを見付け、コンデジを取り出した。
花桃の木はひょろひょろとした若木、何とも頼りなげな幹から細い枝を伸ばし花を付けている。

僅かばかりの花桃の花を眺めながら、この花の咲き誇る風景を見に信州の花桃の里(阿智村)へ行った時のことを思い浮かべていたが、それが何年前だったか思い出せないでいた。
この時泊まった温泉は昼神温泉、馬籠宿、妻籠宿、富士見台高原などあちこち廻ったということ、川沿いに広がっていた花桃の見事だった様子、空き駐車場を探すのに難儀したことなど、イベントは思い出せるのに、年月日という時間軸が吹っ飛んでいるのだ。
あれは何年前だっただろうか、思い出せないのだ。

記憶の坩堝の中ではいろんな思い出が時間軸を剥ぎ取られて混じり合い、混じり合ったまま結晶して思い出を新たに作り上げていく、都合のいい思い出になっていたりする、そんなふうに思えてならないのだ。