老いのかたち(14)

早朝の処女湖から石田川ダム上流域へ秋景を撮りに行きたい、そんな思いを11月の初め頃から持っているのに実行できないでいる。
遠方の永源寺ダム上流域・愛知川渓谷を諦めての処女湖だったのに出掛けられないのだ。
今年の初め頃から行動範囲が一段と狭くなっている、意欲も肉体も劣化が進んでいるのだ。
昨年は早朝の処女湖へ出掛けていたのに。

いろんな事で老いを意識しなければならないことが多くなっている。
諸行無常と分かっていても淋しい限りだ。

老い、しょぼくれた無様な老いの姿にだけはなりたくない。

ローズマリー・サトクリフの「炎の戦士クーフリン・/黄金の騎士フイン・マックール」を読み終えた。
サトクリフの作品を初めて読んだ頃の、物語を読むあのわくわく感は無かった。
これも感性が摩耗しているからだろう。
劣化している脳を少しでも刺激するためにもと、養老孟司の「唯脳論」を読むことにする。