時間どろぼう

京都教育大学附属京都小中学校で行われている「紫友祭」にカミサンと行って来た。
主目的は「モモと時間どろぼう」という劇を見るためだった。

”ステージ発表内容のご紹介 ”というリーフレットに劇の内容が簡単に紹介されていた。
「時間を有意義に使うってどいうことだろう? この劇はモモという不思議な女の子が時間どろぼうにだまされた友達を救い、時間の大切さを教えてくれる物語です」

原作がドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの「モモ」だったということは承知していた。
いつだったかジュンク堂書店で手にしたことがあり記憶していたのだ。

上演するまでに相当の稽古を積んできたのだろう、それぞれにセリフのトチリもなくテンポも破綻のないいい舞台だった。
ただ老兵にとって残念だったのは、セリフのテンポの良さが逆に少し早口に聞こえ、老耳には聴き取りにくい箇所が幾つもあったのだ。
それでも「時間とは」あるいは「時間泥棒とは」ということを考えさせられる劇だった。

人間には時間を感じとるための心というものがある。
もしその心が時間を感じ取らないようになるときにはその時間は無いものと同じだ。
こんなセリフもあった。