読書ノート(5)

昨夜来の雪が20cmほど積もっていたが午前中にあらかた消えてしまった。
日の出前に目覚めていれば雪の堅田漁港が狙い目なのだが、8時過ぎの起き出しなので諦めるしかない。
玄関先でコーンカップに載せたソフトクリームのような雪を見る。

「晴撮雨読」ということにして「葬られた王朝」を読む。
一時、「土偶」について関心がありこれまでいろいろと調べたことがある。
MIHO MUSEUMへ「土偶・コスモス」特別展を観に出掛けたのも、昔の土偶に寄せていた情念みたいな熱いものを思い出すためだったが、老兵にはそんなものはカケラとしてしか残っていなかった。
縄文のビーナスなど国宝に指定されている4点などを素晴らしい芸術品として見入ってはいたが、心が震えるような呪術的なものを感じ取ることは出来ずにいたのだ。

それが今回思わぬことで再発見した。
「葬られた王朝ー古代出雲の謎を解く」の一節に土偶に関する驚くべき仮説が記述されている。
土偶は全て胎児を宿した成熟した女性であり、子供の女や老婆の土偶はない。腹が大きく膨らんだ妊婦もあれば、心もち腹の大きい妊婦もある。そして土偶は全て必ず破壊され、完全なものは一体もない。もう一つ、土偶の特徴は中央に縦一文字に引き裂いたような跡があることである・・・・・」
この「縦一文字に引き裂いた跡」が意味するものを、梅原さんはアイヌの古老浦川ハルさんの話を例に見事に描き出しているのだ。
縄文時代以来日本人が持ち続けてきてあの世観あるいは死と再生観と、腹部に付けられた縦一文字の傷跡の意味するものとを見事に重ねあわせているのだ。
(現代の我々はこの「あの世観」を何処かに置き去りにしているように思う)

縄文時代」また一つ宿題が増えたようだ。