写真展会場にて

コスモスに来る蝶を目当てに喜撰川(大津市和邇)へ行ってきた。
昨年までの喜撰川左岸のコスモスは道の両側に生い茂っていたが今年は何故か株数が少ないようだ。夏の猛暑と雨が少なかったからだろうか。

午後から草津市立図書館で開催されている「第7回・二科会写真部滋賀支部展」を観に行く。
久しぶりにおおっ!とさせられた写真に出逢う、私好みの作品が7点あった。
中でも南村初江さんの作品「寒中みそぎ」は、鉦を叩きながら足早に歩く修行者の一群を冬の夕暮れの中で切り撮っているすばらしい作品だ。
偶然の出会いだろうか、計算された場所で寒さに耐えながら一群が通り過ぎるのを待っていたのだろうか。

鈴木きみ子さんの「心使い」も一瞬の出来事を手練のカメラワークで切り撮った作品だ。
観ていて心和むものだった。撮り手の眼差しの温かみをひしと感じていた。

北中 實さんの「夏近し」「夏来る」の作品もしばらく見入っていた。
デジカメでの作品のように思えた。
デジカメのように思えたというよりは、デジカメ故に作りだせた見事な作品そのものなのだ。

コントラストの非常に高い被写体なのに、黒ツブレも白トビもさせず仕上げている。
夏の夕べ旧家と思われる家の濡れ縁に若い着物姿の女性が腰かけている、そして乱れた裾から美しい太腿がこぼれ、なんとも妖艶なのだ。
この濡れ縁の薄暗がりはつぶれることなく光の諧調を描き出し、女性の肌の白さも肌理細かく表現しきっている。
マスキングやトーンカーブ、色調補正などのデータ処理がキチッと行われているのだろう、それ故にツブレやトビの破綻を免れているのだ。
フイルムでは余程の撮り手でもここまで撮るのは難しいのではないだろうか。

どんな画像処理ソフトを使用しているのか知る由もないが、ソフトを使いなれた熟達の人のように感じられた。今までデジカメの作品を数多く観てきたがこれほどまでのものは観たことがない。どんな方なのか一度お目にかかりたいと思ったほどだ。

それから画像のプリント処理も素晴らしい。
写真の雰囲気を最大限引き出すために用紙もインクも計算済みのようなのだ。
私の推測だが、用紙は小さなエンボスがあるようだからマーメイド(荒め)、インクは顔料系。
(帰り際に受付で確認したが北中さんの作品はやはりデジタルで全て自家処理だった)

写真展会場をゆっくり歩きながらいろんなことを想像したり、考え込んでいた。
今日も一日呆けずに済んだ、幸いだ。