ルリタテハ蛹化

玄関先のタカサゴユリにいたルリタテハの幼虫がスズランの葉に移り蛹化の準備をしているのを見かけたが、急ぎの外出だったのでそのままにして外出した。
帰ってみると見事に蛹化していた。
庭のホトトギスでは未だルリタテハの幼虫を見かけないので、今年初めて見るサナギだ書斎まで来てもらうことにする。

半月もすれば羽化するだろう。
ルリタテハの羽化もいいが何かの寄生蜂が飛び出してくれば、とそんな事も期待している。

生垣越しに見たITOUさんの庭の若木にアゲハの終齢幼虫がいるのだ。
明日まだその木に幼虫が居るようならITOUさんに声を掛けてみよう。

第36回大津市写真展覧会を観てきた。
5点ほどいいなと思うものがあった。そのうちの準特選1点を除いて他は入賞作品ではなかったが、私は賞を貰ったものよりもこっちのほうが良いのにな、そんな思いだった。

それから昨年も審査員の審査評・総評のコメントにある種の違和感を感じたことがあったが、今年も総評のコメントで気になる文言を見た。
「・・・・画作意図が明確で、偶然拾ったというものではない力作の展示にたずさわれた事に感謝します」という文章だ。
この文章の意味するものがうまく理解できないでいる。
「偶然拾ったというもの」という文言を否定語として使い、画作意図が明確なものは力作だが、偶然拾ったものは力作ではない(写真展では入選しない作品)と言っているのだ。
確かにテーマ(画作意図)を持つことは大事なことだと思うが、偶然の出会い、意図しなかった光景、一期一会などと言われる瞬間を切り撮ったもの「偶然拾ったもの」も良しとすべきではないのか。
私はむしろこの「偶然性」を瞬発力を持って切り撮った作品の方に魅力を感じることだろう。
これまでの写真展に比べてデジカメで撮ったと思える作品が多いように感じた。