挽歌

「滅びゆくもの達」というテーマで、熱に侵されたように廃屋や廃車それに産業遺跡などを追いかけていたことがある。

湖北や三重県との県境の過疎の集落を訪ね歩いていた。
写真仲間のHさんとHさんの故郷多賀町の屏風の集落を訪ねたのは、5年ほど前だった。
車が1台やっと通れるつづら折れの山道を登ってゆくと、山の尾根の僅かな平地と山肌を削りとって10軒ほどの集落があった。
常住の住人は媼が一人、それに下の彦根市からやって来るという60過ぎの男性。
過疎化が始まる前の子供達もいた集落には、如何に厳しい環境であったとしても、人の温もりやさまざまな日常の音があっただろうに、聞こえるのは木々を揺らす風の音だけだった。

今では廃屋や廃車をメインに撮ることが殆ど無くなっている。
ファイルの日付を見て見るにHさんとの屏風や後谷の集落を訪ねた頃を境に著しくその数を減らしている。

こんな事を思い出しているのは、昨日の朽木しぐれの集落で廃車を撮ったからだ。


写真のタイトルは「挽歌」にする。
朽ち果ててゆくものへ捧げるようにコスモスが風に揺れていた。

「小さな命の終り」を続けるように「滅びゆくもの達」も再度復活させなばならない。