いのちはいのち

先日の光華セミナー2回目タイトルは ”出発としての「いのちはいのち」”
講師は和光大学名誉教授・最首悟さんだった。

リタイアしてからのこの8年間いろんな講演会やセミナーに出席してきたが、今回の講座はかって無いほどの緊張を強いられ集中して聞いた。
ゆっくりと平易な言葉で話される「いのち」のことが、聞いている間は理解出来ていたのに、帰りの電車の中で講座のメモに目を通し始めると分からなくなっている。

「いのち」「生きている」「いのちはいのち」
自分の言葉と自分の文脈の中で、答のでないこの問を考え続けねばならないのだろうか。
こんな重い問いを突付けられるのだったらこのセミナーに参加すのではなかった。
そんな思いがし始めている、のほほんボケーッと日暮ししている方がよかっただろうに。

階段にルリタテハの幼虫がいた。カタツムリもいた。

金木犀の花ももう終わりだ。

頭上の蔦にはオオスズメバチが何匹も来ており、威嚇するように飛び立ってくることもある。
これも小さないのちの営みなのだ。
ルリタテハは羽化したら越冬するのだろうか、いのちの連続のために。