玄関の扉に極細の生糸一本でぶら下がっているアオスジアゲハのサナギの体が随分と膨らんでいる。殻の中では蝶になる準備が進行しているのだろう。
シロダモの葉裏にいるサナギも同様に大きく体を膨らませている。
葉裏のコヤツにレンズを向けながら、今日は二十四節気の最後の節気大寒の日なのを思い出していた。昔はこの頃が最も寒かったのだろうが、今年も暖冬で身を切るような比良颪に見舞われたことはこれまでにはない。それにしても老爺は僅かな寒さに身をすくめ鳥撮りに出掛けられずにいるのだ。
鳥撮りに出掛けられずにいる大寒の日の徒然に、これまで時折思い浮かんだらブログに書き入れていた俳句(?)を拾い出す作業をする。
妻が伏し 孤りの夕餉 冬の雨
老妻病み 取説を読む 冬日和
*松の内があけた頃からカミサンの調子が悪いのだ。三日ほど滋賀県立総合病院へ検査入院する。
寒満月 思いさまざま 八十路かな
鳥撮りに行けずにいるや老いの冬
虫撮りに 行く日待ち侘ぶ 寒暦
ファインダーに捉えきれずや落雲雀
弱法師歩みの果ての彼岸花
虫撮りの老爺に来るか次の春
老いてなお虫撮りしおり麦の秋
思いだけが飛び立っていく雪の朝
山茶花よりも藪椿の方がいい
ともがらの訃報聞きおり月しぐれ
吾に問うほろ酔いですかと酔芙蓉
迷い来て路地裏道にネギ坊主
かゆい眼で眺めおり春耕の田にムクドリの二つ三つ
老躯には重きレンズや寒雀
歳旦に残りの日々を数えおり
残る月 虫撮りの日々 如何ばかり
秋深く雨降り止まず呆けおり
鬼の子の蓑も借りたし夜寒道
蓑虫のいる陽だまりで本を読む
逝く友を送りし道に寒椿
俳句(?)を拾い出す作業をしていて、不意に神話の起源のことなどが気になり始め図書館へ行く。ジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」と「野に雁の飛ぶとき」を借りて帰った。