牡丹を見に

牡丹を見たいと思いカミサンを誘い出して牡丹の寺として知られる総持寺長浜市)へ行く。
境内一面の牡丹は見事だったが花の見頃は過ぎていると感じられた。
ゆっくり見て回ったがレンズを向ける気にもなれずだった。

カミサンの撮ったのを借りて掲載する。


花の命は短くてなどというが、その花の最も美しい時季は確かに一瞬だと思う。
この一瞬に出会いたいと思うがこれまで叶えられたことがない。
帰り際受付の方といろいろ話していた時、早朝のあの牡丹は何とも見事でしたよ、陽射しがきつくなってからはご覧のとおりいい姿ではありませんけどね、参道の牡丹の一株を指差しながら話してくれた。花の寺にいる人だけが見られた華麗な牡丹の一瞬だったのだろう、そんな頃合いに出会いたいものだ。
寒さ除けの藁苞を被った寒牡丹を見たいとかねがね思っていることから尋ねてみるに、今では世話する人もいなくなり藁苞をかぶせることも出来ず残念ながら見ることは出来ないといわれた。
奈良の長谷寺まで出掛ければ霜除けの藁苞を被った寒牡丹を見ることが出来るのだが、長谷寺は老躯には余りにも遠くなっている。
牡丹を観る、残っている季節は後何回くらいだろうか。

花の寺まで湖岸の道を走る、たかだか往復230km、相当に疲れた。