老いのかたち(12)

昨日の車の事故処理でディラーに車を持ち込む時、近道をしようとして道を間違えとんでもない方向へ暫く車を走らせていた。
見慣れた風景を目にするようになって初めて自分が逆方向に走っていることに気づく。
原因はあまり良く知らない道だったので交差点での左右を取り違えていたのだ。
ディラーへは何度も来ているから、以前だったらある種の方向感覚が働いて交差点での左右の取り違えをするなんてことはまず無かっただろうに。
こんな間違いも老化の所為だろうか。

老化、確かに感覚の全てが劣化しているように思う。
昨日の細い田舎道でJRの踏切を渡ろうとして起こした接触事故も、ちょっとした判断ミスにハンドル捌きという運動感覚のミスが重なっているのだ。

これまでは劣化しているのは、「眼、耳、鼻、舌、身」という五感だけだと思い込んでいたが、昨日の判断ミスといい今日の左右折の間違いといい、明らかに「意」の部分も耄碌を始めているのだ。
「眼、耳、鼻、舌、身、意」全てが劣化していることをしっかり見据えていないと、とんでもないことを引き起こしかねないぞ、自分に言い聞かせていた。

老いのかたちのもう一つの現れとして、自由気ままで我儘な暮らしぶりがある。
この放埒さが習慣になってもう10年が過ぎるのだ。
カミサンと二人きりの生活だったらこれも許されるだろうが、仲間たちとの団体行動では我儘は顰蹙を買うことになるぞ、団体行動をする時は我儘の角を折るように、お前さん出来ますか。
老いが進むと何事によらず束縛されることが一層苦しくなるだろう。
撮影会などにこれからも参加できるだろうか。
昨日の撮影会のことを思い出しながらいろんな事を考えていた。

写真仲間Tさんが昨日の撮影会での写真をメールに添付して送ってくれた。
おっ!いいな、と思うものがあり、昨日は暗い気持ちでいただけに気持ちを和ませてくれた。
Tさんの写真を見ながら、自分が撮ったものはほんの僅かだがTさんに負けずにRAW現像してみようと思い始めている。