畑の片隅にある柿の木に沢山の実がなっているのを見付ける。
渋柿だろうか鳥たちがつついた形跡も見当たらない、よく熟しているようだがそれでもまだ渋みが残っているのだろうか。
この時期まで収穫されずに残っているという事は、このまま木の上で爛熟し最後は北風に煽られて地に落ちるのだ。そこはかとない侘しさを感じていた。
昨年の10月の終わり頃朽木へ虫撮りに行った時、干し柿を作る為の皮むきをしているのに出逢ったことがある。
撮影の許可を得てしばらく話しこんでいた。
干し柿は2種類作るようだった。
その一つは皮むきした後スモークするようだ、私は初めて見る光景だった。
一つ一つ丹念に皮むきしているその姿を見ていて、どこか懐かしい光景を思い出していた。
祖母も庭先の柿の木から柿の実をもぎ取っては干し柿を作っていた。
半世紀以上も前の田舎だ、干し柿などは贅沢な食べ物だったから、軒先で少しづつ褐色になり小ぶりになっていく干し柿を、いつ祖母が食べさせてくれるのかと待ち遠しく、見上げていた。
畑の片隅や棚田の土手などで収穫されぬまま朽ちて行く柿の実を今年の秋もしばしば見てきた。
こんな情景で本当にいいのだろうか。