雲水さん

今年最初の講座「無量寿経」講読・5(山田明爾 龍谷大名誉教授)、いつもながらの充実した講座なのだ。昂揚した気分で寒さも忘れて帰途につく。
半月ぶりの京都なので雑踏を楽しむことにした。
お決まりのコース、ジュンク堂書店と写真ギャラリー3ヶ所に立ち寄る。

ギャラリー古都での「富士山展」の中にいいなと思うものが3点ほどあった。
富士山、撮るのにこれ程難しい被写体は無いのではないだろうかと思いながら観ていた。
それというのも似たような構図の写真をこれまでに何点も観ているからだ。
三脚を据える格好のビューポイントはごく限られているのだろう。
限られたポイントなら「おおっ!」と見る者を感動させるには、特別な光や気象条件を待たねばなるまい。これを求めるのは至難だし、余程の幸運に恵まれねばなるまい。
僅かなチャンスにシャッターを切れるそんな幸運を掴めるのも相当の苦行を重ねた末だろう。

私にも今日僅かなチャンスがあったが日頃の精進の悪さで逃してしまった。
帰りの地下鉄東西線の中で雲水さんに出会ったのだ。

若い雲水さんだった、托鉢からの帰りだろうか。
衣の色は未だ濃い目の紺色、網代笠も風雨に晒され続けた様子はない。
新到さんだろうかと思える様子だ。
網代笠を胸元に抱えていたから頭陀袋に書かれているであろう僧堂名は見えなかった。
足元は素足に草鞋。
電車の中のその立ち姿は隣にいる二人の小学生と対になって素晴らしい被写体だった。
ちゃんとしたカメラを持っていれば声を掛けただろうが、コンデジでは失礼だと思い諦めた。

雲水さんは蹴上駅で下車していった。
ここでもちゃんとしたカメラなら同時に降りて歩く姿を撮るお願いをしただろうに。
重くても眼デジを持っていなければ僅かなチャンスを逃してしまう。

蹴上駅で降りたということは臨済宗南禅寺僧堂の雲水さんだろうかと思ったりしていた。
あの紺色の衣が洗い晒されて水色になり、網代笠の縁が破れてくるまでの修行がこれから続くんだろうな、そんな思いで雲水さんの後ろ姿を見送っていた。